盛岡市 上米内(かみよない)
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松園寺(しょうおんじ)
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・場所:岩手県盛岡市上米内字松木平78−57 Yahoo地図
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石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ 滝沢村転居
渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係
歌人、詩人、評論家
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あ
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新しき 明日の来るを 信ずといふ 自分の言葉に 嘘はなけれど
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歌意:新しい未来がもうすぐやってくると、私は信じてはいるが、本当に来るであろうか
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い
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いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ
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歌意:しっかりと掴まえていないと砂は指の間からさらさらと落ちる。悲しい事に、それが命のない砂というものだ
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い
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岩手山 秋はふもとの 三方の 野に満つる虫を なんと聴くらむ
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歌意:
一握の砂」
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お
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己(おの)が名を ほのかに呼びて 涙せし 十四の春に かへる術なし
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歌意:自分の名をそっと呼んでみると、涙がこぼれた。十四歳の春の頃の様には、もう戻れない。
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か
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神無月 岩手の山の 初雪の 眉にせまりし 朝を思ひぬ
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歌意:
一握の砂
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き
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汽車の窓 はるかに北に ふるさとの山 見え来れば 襟を正すも
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歌意:
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こ
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不来方(こずかた)の お城の草に 寝ころびて 空に吸われし 十五の心
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歌意:
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す
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砂山の 砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠く おもひ出づる日
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歌意:
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た
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たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず
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歌意:
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と
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東海の 子島の磯の 白浜に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
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歌意:
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と
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友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
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歌意:
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と
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友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
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歌意:
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西風に 内丸大路の 桜の葉 かさこそ散るを 踏みてあそびき
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歌意: |

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な
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長く長く 忘れじ友に 会ふごとき よろこびをもて 水の音聴く
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歌意:
一握の砂「秋風のこころよさに」
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な
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中津川や 月に河鹿の 啼く夜なり 涼風追ひて 夢見る人と
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歌意:
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な
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なつかしき 冬の朝かな 湯をのめば 湯気がやはらかに 顔にかかれり
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歌意:
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な
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何事も 思ふことなく いそがしく 暮らせし一日を 忘れじと思ふ
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歌意:「一握の砂」を創り出すれ以外のことは何にも思わず、ただひたすら忙しくその仕事に集中したこの一日があったことを、忘れまいと思う。
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な
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何となく、今年はよい事 あるごとし 元日の朝 晴れて風なし
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歌意:
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は
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茨島(ばらしま)の 松の並木の 街道を われと行きし少女(をとめ) 才をたのみき
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歌意:巣子の森である国道4号沿いの並木を読んだ短歌です。
茨島は盛岡から渋民への通過地点で,現在の家畜改良センター岩手牧場周辺一帯を指しています
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は
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はたはたと 黍(きび)の葉鳴れる ふるさとの 軒端なつかし 秋風吹けば
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歌意:秋風が吹く季節になると、ふるさとのあの軒端では、黍の葉が風にはたはたと音を立てて鳴っていたものだ。そんなありさまをふと思い浮かべて、私はしみじみとふるさとを懐かしんだことだ
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は
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馬鈴薯の うす紫の花に降る 雨を思へり 都の雨に
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歌意:
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ひ
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人がみな 同じ方角に 向いて行く それを横より 見てゐる心
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歌意:
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や
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病みてあれば 心も弱るらむ さまざまの 泣きたきことが 胸にあつまる
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歌意:
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や
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山の子の 山を思ふが ごとくにも かなしき時は 君を思へり
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歌意:
一握の砂「忘れがたき人人(二)」
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や
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やわらかに 柳あおめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けどごとくに
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歌意:
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や
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ゆゑもなく 海が見たくて 海に来ぬ こころ傷みて たへがたき日に
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歌意:
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よ
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よごれたる 手を洗ひし時の かすかなる 満足が今日の 満足なりき
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歌意:
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歌意:
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