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宮城県の句碑・歌碑・詩碑
愛宕神社(あたごじんじゃ)
・場所:宮城県仙台市太白区向山4-17-1 愛宕神社境内 Yahoo!地図

石川 善助(いしかわ ぜんすけ)
・説明:1901−1932年 31歳没 詩人 仙台市青葉区国分町芭蕉の辻の小間物商「菅喜」に生まれ。
 仙台商業高校卒業後趣味を生かしてね郷土詩壇の中軸として活躍
 同人誌「感触」を発行、「北日本詩人」を創刊する。
  1928年(昭和3年)上京、中央詩壇を目指し、福士幸次郎、草野心平、高村光太郎、宮澤賢治らと共に日本詩壇の発展に尽くした。
  酒を相手にすることが多く、大森駅近くの線路を歩いているうちに側溝に転落、溺死、
 生前、鴉射亭・石川右京の名で童謡等貴重な作品を遺した。
 没後、友人たちによって「鴉射亭随筆」、詩集「亜寒帯」、「石川善助童謡集」が発行。
「化石を拾ふ」
光りの澱む切り通しのなかに
童子が化石を捜してゐた  
黄赭の地層のあちらこちらに
白いうづくまる貝を掘り  
遠い古世代の景色を夢み  
遠い母なる匂ひを嗅いでゐた
…もう日は翳るよ     
空に鴉は散らばるよ    
だのになほも探してゐる
探してゐる        
外界のこころを      
生の始めを        
 母を母を      石川善助
 1958年 建立
2010


2010


2010




菊地 華樵(きくち かしょう) 
・説明:1848−1925年、画家で、南画、漢詩、俳句を詠む。 
澗水穿荒阪  繁枝野実丹
離愁文墨職  細菊一叢寒
発卯夏目華  樵山人星城
 谷を流れる水は荒れた坂をうがち、枝は繁り、野の実は赤く色づいている。
 故郷を離れた愁いを水墨画にしたためていると、細々と咲いた菊の一群がなお心を寒々しくする
 年 建立
2010




吉野 臥城(よしの がじょう) 
・説明:1876−1926年 角田藩主吉野家の長男として生まれる。 本名:吉野甫(はじめ)
 早大卒 明治・大正期、詩人、歌人、俳人として、また小説、評論など幅広く活躍した。
 
吉野臥城が愛宕山を詠んだ詩 碑はありません。
    愛宕山に登るの記   
夏の日俗の巷におちて 塵のすさびに眼はくもり  
 人のわめきに心耳もしひて 遊子現世のうれひに堪へず
 ひとり愛宕の高きに登り タぐれ広瀬の風を抱いて  
はるかに詩国の美を恋ひ慕ふ