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 正岡 子規(まさおか しき)  
・説明:1867―1902年 松山市新玉町生まれ、新聞「日本」・俳誌「ホトトギス」によって写生による新しい俳句を指導、写生文による文章革新を試みるなど、近代文学史上に大きな足跡を残した 
山形県
 はて知らずの記 1893年(明治26年)、7月19日から8月20日までの約1ヶ月間、芭蕉の足跡を訪ねて東北地方を旅した。  

8月9日 酒田着
 限りなき藍原の中道辿りて 酒田に達す。名物は婦女の肌理細かなる処にありといふ。夜 散歩して市街を見る。紅燈緑酒客を招くの家数十戸檐をならぶ。毬燈高く見ゆる処にしたひ行けば翠松舘といふ。松林の間にいくつとなくさゝやかなる小屋を掛けて納涼の処とす。此辺の家古風の高燈籠を点す。
天の川 高燈籠に かゝりけり
・句意:  

 

8月10日 酒田~
 10日 下駄を捨てゝ草鮭を穿つ。
面白や 草鮭はく日の 秋の風
・句意:  

 北に向ふて行くに 鳥海山正面に屹立して谷々の白雲世上の炎熱を知らぬさまなり。
鳥海にかたまる雲や秋日和
・句意:  
木槿垣鳥海山を見こしかな
・句意:  
木槿咲く土手の人馬や酒田道
・句意:  

 
 荒瀬遊佐を過ぎ松原のはなれ家に小憩す。

笊ふせておけば昼鳴くきりぎりす
・句意:  

 
 家々の振舞水に渇を医しながら一里余り行けば 忽然として海岸に出づ。一望豁然として 心はるかに白帆と共に飛ぶ。一塊の飛島を除きては天水茫々一塵の眼をさへぎるなし。吹浦に沿ふて行けば 海に立ちて馬洗ふ男 肴籠重さうに提げて家に帰る女のさまなど 総て天末の夕陽に映じて絵を見るが如し。
夕されは 吹く浦の沖の はてもなく 入日にむれて 白帆行くなり
夕陽に 馬洗ひけり 秋の海
・句意:  

 

8月10日 大須郷 泊
 行き暮れて大須郷に宿る。松の木の間の二軒家にしてあやしき賎の住居なり。楼上より見渡せば 鳥海日の影を受けて東窓に当れり。

 

8月11日
 十一日 塩越村を経。象潟は昔の姿にあらず。塩越の林はいかゞしたりけん いたづらに過ぎて善くも究めず。金浦平沢を後にして徒歩に堪へねば しばし路傍の社殿を仮りて眠る。覚めて又行くに 今は苦しさに息をきらして 木陰と見れば頻りに行李を卸す。
喘ぎ喘ぎ撫し子の上に倒れけり
・句意:  

8月11日
 邸陵の上 野薔薇多く生ひて赤き実を生ず。道行く人 そを取りて喰ふ。偶々 花の咲くを見るに花弁紅にして燃ゆるが如し。処々に牛群を放つ。夕風やや涼しき頃より勇を鼓してひた急ぎに急ぎしも 終に夜に入りて林を過ぎ山を越ゆ。
路のほとりに鳴く虫の声々旅人を慰めんとて曲を尽すもよく耳には入らで 旅衣の袖に露のはしる音ひとり身に入みたり。
消えもせでかなしき秋の螢かな 
・句意:  

8月11日  本荘 泊
  くたびれし足やうくに引きずりて とある旅店に宿を請ふに空室なしとて断りぬ。三軒四軒尋ねありくに皆同じ。ありたけの宿屋を行きて終に宿るべき処もなし。盖し此夜は当地に何がし党の親睦会ありて 四方の田舎人つどひ来れるなり。古雪川を渡りて石脇に行きこゝかしこと宿を請ふに 一人の客面倒なればにや尽く許さず。詮方なく本庄に帰り 警察署を煩はしてむさくろしき一軒の旅籠屋に上り 飯などたうべし時は殆んど三更の頃なりき。

 
8月12日 ~秋田へ