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陸奥の歌枕の地を訪ねて
(陸奥は山城・大和に次ぎ、三番目の「歌枕の国」)

宮千代児童公園
・場所:宮城県宮城野区宮千代1 Yahoo!地図
宮千代(みやちよ)
・説明:
 月は露   つゆは草葉に  宿借りて  それこそそれよ 宮城野の原
 つきはつゆ つゆはわかばに やどかりて それこそそれよ こみやぎののはら
 歌意:草場の上に宿を借りた露が月の光を浴びて光り輝いている。なんて宮城野原は美しいのだろうか。
 
見仏上人が下の句を詠んだと言われる。
 1893年(明治26年) 発起人太田熊蔵ほか五人  建立
2013.1.20



宮千代塚の由来
 瑞厳寺に、和歌を好み、才能ゆたかな宮千代という美少年がいた。 宮千代は和歌修行の為都にのぼる途中、宮城野の美しさに魅せられて「月は露 露は草葉に 宿かりて」と詠んだが、下の句が続かず苦しみながら亡くなった。 村人は松を植え塚を築いて弔ったが、夜になると宮千代の霊が「月は露・・・」と吟じて、通る人をこわがらせた。
 このことを知った松島寺の徹翁(見仏上人)は、下の句「それこそそれよ 宮城野の原」と続けた。 それから地下からの声が聞こえなくなったという。
 
2018.10.6