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宮城県の文学碑
松音寺(しょうおんじ)南墓地
・場所:宮城県仙台市若林区新寺4−6−28 南墓地  Yahoo!地図  

只野 真葛(ただの まくず)
・説明:1763−1825年 63歳没 仙台藩江戸詰の医師工藤平助の長女 江戸生まれ 
 江戸時代の宮城の女流文学者  旧姓:工藤 綾子(あやこ)
 1797年(35才)仙台藩の上級家臣で当時江戸番頭の只野行義(つらよし) 通称:只野伊賀の後妻となり仙台へ下る。仙台で生涯を送った。
 和歌を詠み、松島、塩竈、七ヶ浜などをめぐり、「みちのく日記」「塩竈まうで」「松島の道の記」「いそづたひ」など多くのすぐれた紀行を書き綴った。
 また、「むかしばなし」や「奥州波奈志(おうしゅうばなし)」
 
頌徳碑(しょうとくひ)

 眞葛名をあやといひ工藤球卿の女只野伊賀の妻にして歌文の才たくひまれなりしこと世乃阿まねく知る所なりそ乃墓舊松音寺の境内にありて漸く草むら乃中に埋れはてむとするをうれふる人人相謀りその跡を永く後の世に傳へむとてこれをこの所に移し碑をたててその由を記す

  1933年(昭和8年)建立
2013.1.20


桃光院聨室發燈大姉 工藤球卿女




遠藤 曰人(えんどう あつじん) 
・説明:1757−1836年 石巻市桃生町寺崎生まれ 仙台藩士
  俳諧を丈芝坊白居に、儒学を志村五城に学ぶ
  本名木村 定矩(きむらさだのり) 通称は伊豆之輔 遠藤清左衛門 
  別号に竹林舎、木間庵、言外堂など
 
背面
天保七丙申稔四月二十日 七十九齢
竹林軒嘯月日翁居士 遠藤伊豆之介藤原定矩
辞世 和歌神の御供○○○○おくられた○○
土金や 息盤絶えても 月日有
(土金や息はたえても月日有り)
  年 建立
表面 2013.6.11


背面 2013.6.11