青森県の句碑・歌碑・詩碑・文学碑 |
十和田市大字奥瀬 蔦温泉(つたおんせん)
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蔦温泉(つたおんせん) 池畔 |
・場所:青森県十和田市奥瀬蔦野湯1 蔦温泉 Yahoo!地図 |
大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。
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世の人の 命をからむ 蔦の山 湯のわく処 水清きところ
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歌意: |
1974年(昭和49年)建立 揮毫:桂月の長男の大町芳文氏の妻 久世
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2014.7.20

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酒仙・鉄脚の旅人
大町桂月作品と資料でつづる桂月の青森県内における足跡 |
大町桂月生誕百二十六年、没後早七十年、桂月が明治四十一年に初めて蔦温泉の地を訪れて以来、ここの地を本拠に青森県内を行脚し、豊かな文才により青森県を広く世に紹介した功績は大きい。わたしたちは、そのことを決して忘れてはならない。このたび桂月の終のすみかであり、
生前最もかかわりが深かった蔦温泉主の手により、青森県内における桂月の足跡とその作品および関係資料を集大成した「酒仙・鉄脚の旅人大町桂月」が出版された。爽秋の空のもと桂月と蔦温泉を愛するわたしたちは、この出版を心から喜ぶ。
これを記念して蔦温泉の守護神となった桂月のことが末永く語り継がれることを願いこのゆかりの地に文学碑を建立する。
碑文中の歌は桂月が大正十年十一月に十五年ぶりに蔦の地を訪れた時に詠んだ一首である。
桂月の直筆をもってここに刻む。桂月の思い永遠なれ。
平成七年九月十七日 桂月と蔦温泉を愛する有志一同 右匠 十和田石材建設㈱
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2014.7.20

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大町桂月と蔦温泉文学碑 大町桂月歌碑
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蔦温泉前庭
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・場所:青森県十和田市奥瀬蔦野湯1 蔦温泉 Yahoo!地図
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大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。
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大町桂月は明治・大正期を代表する文人の一人で、美文の創始者ともいわれている。
本名を芳衛いい、1869年(明治2年)高知市の旧武士の家に生まれた。
幼い頃から漢学などの学問に親しみ、軍人や政治家などを志したが、文学の道に転じ、東京帝国大学国文学科在学中から学生文士として詩文を次々に発表した。
1898年(明治31年)、出世作である美文・韻文集「黄菊白菊」を刊行し、その文名を不動のものとした。その後おびただしい数の作品を著して好評を博し、当時の青年で桂月の文学に親しまざるはなしとまでいわれた。その著作は多彩なジャンルにおよび、著書はじつに二百冊を超える。
晩年はとくに自然美の探訪、発見につとめ、文筆のかたわら、全国を訪ねて紀行文を発表した。
1908年(明治41年)8月、はじめて十和田湖を訪れるやその美しさに魅了され、翌年その紀行文を雑誌「太陽」に 掲載したのをきっかけとして十和田湖は一躍有名になった。
その後も来訪を重ね、蔦温泉を拠点に県内各地を探勝するうち地元との絆を深め、1925年(大正14年)三月には蔦温泉に本籍まで移した。かくて同年八月十日、桂月は急な病に倒れこの蔦温泉で56年の生涯を閉じた。いまはの際まで酒に舌鼓を打ち、辞世を詠み、遺言を述べ、家族や友人をやさしく気遣いながらの最期であったという。蔦温泉には本碑のほかに、墓所また胸像と歌碑とがあり、十和田湖と八甲田の自然とを、いつまでも見守っている。
「清文院桂月鉄脚居士」、生前自らがつけた戒名である。
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十年あまり 五とせ前に 見しわらや 今こそ玉の うてななりけれ
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ととせあまり いつとせまえに みしわらや いまこそたまの うてななりけれ
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歌意:
15年前に見た宿の建物が見違えるようになったのを目にして、1921(大正10年)11月に詠んだ歌
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年 建立
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2014.7.20

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女湯の歌碑/お風呂脱衣所の庭
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こころよさ 何にたとへん 湯の瀧に 肩をうたせて 冬の月見る
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歌意:
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年(平成8年)建立 1925年(大正14年)に読んだ歌
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男湯の歌碑/お風呂脱衣所の庭
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こころよさ 何にたとへん 湯の瀧に 肩をうたせて 冬の月見る
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歌意:
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1996年(平成8年)建立 1925年(大正14年)に読んだ歌
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蔦温泉前庭
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・場所:青森県十和田市奥瀬蔦野湯1 蔦温泉 Yahoo!地図
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大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。 |
終焉地の標柱と胸像
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年 建立
1925年(大正14年)に蔦温泉に家族と転籍、2カ月後の6月10日、蔦の居室で永眠
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2014.7.20

2014.7.20

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蔦温泉前庭
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・場所:青森県十和田市奥瀬蔦野湯1 蔦温泉 Yahoo!地図
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大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。 |
紀行文「蔦温泉2小杉未醒画泊の薬師如来」
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蔦温泉の名は未だ世に現は(あらわ)れざるが、余の気に入りたる温泉也。
十和田山中にあるが、なほ精(くわ)しく云えば、石倉岳(南)の中腹に在り。
一軒屋にて、本館には普通の旅客を迎へ、別館には自炊湯治客を迎ふ。
温泉の質は塩類温泉にして、浴場三つ、その一つは四間(よんけん)四方にて、本館に接す。
三方開けて、浴しながら月を見るを得べし。その一つは一間に五間、三つに仕切りて温泉を異(こと)にす。その一つは、一間に二間、三條の湯滝を懸(か)く。
湯舟の気持ちよきこと天下に稀(ま)れ也。
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年 建立 蔦温泉旅館創業100周年を記念 |
2014.7.20

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蔦温泉前庭
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・場所:青森県十和田市奥瀬蔦野湯1 蔦温泉 Yahoo!地図
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大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。 |
沼に舟うけ 姫鱒釣って 風呂で月見る 山の中
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歌意: |
半年も蔦温泉に籠城(ろうじょう)しせるつれづれに甲子(きのえね)春日
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1999年(平成11年)建立 生誕百三十年を記念 直筆書拡大したもの
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2014.7.20

蔦沼 2014.7.20

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蔦温泉/薬師堂境内
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・場所:青森県十和田市奥瀬蔦野湯1 蔦温泉薬師堂境内 |
大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。
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今しばし 山の錦に たてきりて 薬師如来の 生まれいでぬる
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歌意: |
年(平成9年)建立
1924年(大正13年)蔦温泉内薬師堂に安置する薬師如来像の開眼供養の時詠んだ歌 |
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蔦温泉敷地内/鉾杉の傍
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・場所:青森県十和田市奥瀬蔦野湯1 |
大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。 |
四方の木は みな冬枯れて ふる雪に 一もと青し 蔦の鉾杉
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よものきは みなふゆかれて ふるゆきに ひともとあおし つたのほこすぎ
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歌意: |
年 建立
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蔦墓地/大町桂月の墓
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・場所:青森県十和田市奥瀬蔦野湯 Yahoo!地図
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大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。 |
極楽へ こゆる峠の ひとやすみ 蔦のいで湯に 身をば清めて
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歌意: |
年 建立
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蔦川渓流砂防公園内(上流)
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・場所:青森県十和田市奥入瀬焼山 Yahoo!地図 |
大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。
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いで湯わく 蔦の山路 さよふけて 月のみわたる 猿の空橋
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歌意:
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年 建立
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蔦川渓流砂防公園内(中流)
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・場所: 公園内の案内碑 Yahoo!地図 |
大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869-1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。
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さく花に 青葉まじりて 春夏を ひとときに見る みちのくの山
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意:
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年 建立
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蔦川渓流砂防公園内(中流)
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・場所: 公園内の案内碑 Yahoo!地図 |
水芭蕉の解説文
花蕋(かずい)黄唯一本 花辡(かべん)白 唯一片
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