土井 晩翠(どい ばんすい)
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生誕・功績
土井林吉(つちいりんきち)(誤読が激しいため改姓 どい) ばんすい
1871年(明治4年)10月23日~昭和27年(1952)年10月19日 享年80才
宮城県仙台市北鍛冶町の旧家質商土井七郎兵衛の長男として生まれる。
仙台の旧制二高、東京帝国大学で英文学を学ぶかたわら、「帝国文学」の編集委員として、在学中から詩を発表し、注目された。小泉八雲を師とした。
母校である仙台の旧制二高教授として英語を教えると共に、詩作・翻訳でも活躍し、島崎藤村を通じて知り合った滝廉太郎と名曲「荒城の月を」作った。
1899年(明治32年)第一詩集「天地有情」を刊行、斬新な熱情と叙事詩風な作風によって、詩壇を二分する「晩翠・藤村時代」を形成した。
1950年(昭和25年)年詩人として初めての文化勲章を受章 |
仙台高等工業学校 校歌 |
一
扶揺万里の風待ちし 英雄の跡まのあたり
錦かざりし宮城野の 萩のしるしを戴きて
児幾百あけくれに SKKの門潜る
二
広瀬の流涼々と 日夜に去りて息なき
跡に日に増し進みゆく 其の研習の業競ふ
SKKのわかき子ら の貴さ忘れめや
三
無形の電波精妙の 機械の力建築と
土木のたくみ工業の 化学の術に先覚の
たてし功績仰ぐ時 わが青春の血ぞ熱き
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1992(平成4年) 創立80周年記念事業の一環として、SKK同窓会建立
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