陸奥の歌枕の地を訪ねて
(陸奥は山城・大和に次ぎ、三番目の「歌枕の国」)
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沖の井(沖の石)
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| ・場所:多賀城市八幡2-19 Yahoo地図 |
・説明:芭蕉に随行した曾良の日記によれば、「末の松山」近くにある奇石が連なる池は「沖の井」であり、「沖の石」は別にあったようですが、すでに消滅しているようです。
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小野 小町(おのの こまち)
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| ・説明:?−?年 平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人 |
古今和歌集
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おきのゐで 身をやくよりも かなしさは 宮こしまべの わかれなりけり
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おきのいの みをやくよりも かなしさは みやこしまへの わかれなりけり
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歌意:炭の熾きの火でわか身を焼くよりも悲しいのは、都と島とに別れ別れになることだ。
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平成11年 多賀城市教育委員会
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2012.4.9

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二条院 讃岐(にじょういん さぬき)
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| 千載和歌集 |
我が袖は 潮干にみえぬ 沖の石の 人こそしらぬ かわく間もなし
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歌意:私の袖は、潮が引いても海に隠れて見えない沖の石のようだ。
誰も知らないだろうが、あなたを想う恋の涙に濡れて乾く間もない。
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平成11年 多賀城市教育委員会
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松尾 芭蕉(まつおばしょう)
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・訪れた日:1689年 沖の石を訪れたが詠まず
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天野 桃隣(あまの とうりん)
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・説明:天野桃隣は芭蕉の弟子で本名天野勘兵衛
江戸前期の俳人 伊賀国(三重県)上野生まれ ?〜1720年没 81歳
※蕉門(しょうもん)松尾芭蕉の門人、およびその門流
・訪れた日:1696年 沖の石を訪れたが詠まず
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和知 風光(わち ふうこう)
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・説明:1701−1755年 55歳没 白河の俳人 別名:夕顔庵、巽々坊
・訪れた日:1751年 沖の石を訪れて詠んだ
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いらいらと 凩吹や 沖の石
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いらいらと たこふくや おきのいし
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句意:
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横田 柳几(よこた りゅうき)
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・説明:1716−1788年 埼玉県生まれ 江戸中期の俳人 本名:横田盛英
・訪れた日:1747年 沖の石を訪れて詠んだ
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麦の穂の 浪は刈れて 沖の石
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むぎのほの なみはかれて おきのいし
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句意:
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南嶺庵 梅至(なんれいあん ばいし)
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・説明:?−?年 越後の高田市南本町の俳人 芭蕉の孫弟子と言われる
露川(月空居士)の門人
・訪れた日:1755年 沖の石を訪れて詠んだ
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沖と見しは 石の神代や 苔の花
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句意:
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