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花巻市
 
花巻市/高村記念館
・場所:岩手県花巻市太田3-91-3 Yahoo!地図
・説明:山荘で初めて迎えた冬に生まれた作品「雪白く積めり」の詩碑が昭和33年に山荘のそばに建てられた。ハンノキ林の中に建詩碑の碑文は,詩集「典型」の冒頭に収められている詩である。
高村 光太郎(たかむら こうたろう)
・説明:1883−1956年 東京生まれ  詩人、彫刻家 本名:光太郎(みつたろう)
 1945年空襲で東京の自宅とアトリエを焼失し、宮沢賢治の縁で花巻に疎開。
 敗戦後は1952年まで、雪深い花巻郊外(当時太田村山口)に住んだ
 
 (昭和33年) 建立 光太郎三回忌の記念 1950年(昭和25年)6月作
雪白く積めり。
雪林間の路をうづめて平らかなり。
ふめば膝を没して更にふかく
その雪うすら日をあびて燐光を発す。
燐光あをくひかりて不知火に似たり。
 
2014.7.1


2014.7.1



花巻市/高村記念館
佐藤隆房博士碑
・説明:1890−1981年 栃木県那須生まれ 千葉大学医学部卒 外科医 花巻市に佐藤外科耳鼻科医院開業 総合花巻病院を創立 院長 宮沢賢治の最期を看取った主治医
 戦時には宮沢家共々光太郎を花巻に招き,一時は光太郎を自宅離れにも住まわせていました。
 
 桜地人館は、佐藤隆房が個人的に創った展示館で、賢治の資料を初め高村光太郎、万鉄五郎そして船越保武の作品等が展示されている。
「非常の時」の一節
人安きをすてて人を救ふは難いかな
非常の時
人危きを冒して人を護るは貴いかな
非常の時
身の安きと危きとを両つながら忘じて
ただ為すべきを為すは美しいかな

・説明: 
1979年(昭和54年)建立  揮毫:草野心平
 
2014.7.1

2014.7.1



花巻市/高村記念館 
智恵子抄泉
「案内」
三畳あれば寝られますね。これが水屋。これが井戸。
山の水は山の空気のやうに美味 ・・・・
・意: 
 1980年(昭和55年)建立  揮毫:佐藤隆房
2014.7.1


佐藤 隆房(さとう たかふさ)
絶佳無比 遊子この水に陶酔する
・意:「遊子」とは詩人のこと。光太郎を指す







花巻市/高村記念館
智恵子の展望台/詩「案内」に詠まれた場所
 坂を登るところが見晴し、展望二十里南にひらけて
 左が北上山系、右が奥羽国境山脈、まん中の平野を北上川が縦に流れて、
 あの霞んでゐる突きあたりの辺が金華山沖といふことでせう。
 詩意:
2014.7.1


2014.7.1




 
・場所:岩手県花巻市太田 Yahoo!地図 
高村 光太郎(たかむら こうたろう)
・説明:1883−1956年 東京生まれ  詩人、彫刻家 本名:光太郎(みつたろう)
 1945年空襲で東京の自宅とアトリエを焼失し、宮沢賢治の縁で花巻に疎開。
 敗戦後は1952年まで、雪深い花巻郊外(当時太田村山口)に住んだ
  
 太田開拓三十周年記念碑
「開拓の精神を失ふ時 人類は腐り 開拓の精神を持つ時 人類は生きる。
精神の熟土に活を与へるもの 開拓の外にない     高村光太郎」
 意:
 (昭和51年)建立 光太郎詩「開拓に寄す」の一節を,光太郎自筆を拡大して刻
 
 
・場所: Yahoo!地図 
高村 光太郎(たかむら こうたろう) 
・説明:1883−1956年 東京生まれ  詩人、彫刻家 本名:光太郎(みつたろう)
 1945年空襲で東京の自宅とアトリエを焼失し、宮沢賢治の縁で花巻に疎開。
 敗戦後は1952年まで、雪深い花巻郊外(当時太田村山口)に住んだ
 
 
 意:
 年(年)建立

 

 
・場所:
高村 光太郎(たかむら こうたろう) 
・説明:1883−1956年 東京生まれ  詩人、彫刻家 本名:光太郎(みつたろう)
 1945年空襲で東京の自宅とアトリエを焼失し、宮沢賢治の縁で花巻に疎開。
 敗戦後は1952年まで、雪深い花巻郊外(当時太田村山口)に住んだ
 
 
 意:
 年(年)建立