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相楽 等躬(さがら とうきゅう)
・説明:1638−1715年 78歳没 須賀川市生まれ 江戸時代前期-中期の俳人 本名:正徳
 江戸の石田未得(みとく)、岸本調和(ちょうわ)にまなぶ
 芭蕉と交友のあった人物で、須賀川宿で問屋を営む傍ら、須賀川の駅長(現代の市長クラス)の要職を務めていた。
 通称伊佐衛門 別号:乍憚(さたん)、乍単斉(さたんさい)後に等躬、晩年になって藤躬と号した
 1689年(元禄2年)(陽暦6月9日)芭蕉は須賀川に至り、等躬宅に7泊した。
 晩年は内藤露沾(ろせん)と親交があった

長松院
 ・場所:福島県須賀川市諏訪町88 長松院  Yahoo!地図
相楽(良) 等躬(さがら とうきゅう) 
あの辺は つく羽山哉 炭けふり
 句意:
 1958年(昭和33年) 建立
 「みちのくの標葉さかひにてよみしを」の前書がある。
 標葉(しねは)町は福島県双葉郡の内。交流があった岩城平城主内藤露沾(ないとうろせん)を訪ねた時の句
2013.12.7




市役所通りの俳句 
・場所:福島県須賀川市本町 Yahoo地図
相楽(良) 等躬(さがら とうきゅう) 
切崩す 山井の名は 有りふれて
 句意:
 年 建立
20013.12.7



東風(こち)の香そ 猶(なお)かけまくも 垣隣
 句意:
20013.12.7



切崩す 山井の名は 有りふれて
 句意:
20013.12.7



 
翠ヶ丘公園 須賀川の三俳人句碑
・場所:福島県須賀川市愛宕山 Yahoo!地図
相楽 等躬(さがら とうきゅう)
今以て その八重垣を 牡丹なり
 句意:

藤井 晋流(ふじい しんりゅう)
・説明:1680−1761年 82歳没 群馬県生まれ 江戸時代中期の俳人
 須賀川の豪商の家に婿入 藤井晋流の門人 等躬の後継者として須賀川俳諧を引き継ぐ
 門下に石井雨考
 其角の高弟、芭蕉と師を慕い時雨塚を建てた俳人
芥子の花 かみ布織る里の 澪標
 句意:

二階堂 桃祖(にかいどう とうそ)
 晋流の門人、二階堂家系と思われる修験僧の俳人
すらすらと 白雲とおる 若葉かな
 句意:

 不詳年(年) 建立
2013.12.7


2013.12.7