岩手県の碑
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桜地人館 |
・場所:岩手県花巻市桜町4-14 桜地人館(旧佐藤郷志館)の玄関脇 Yahoo!地図 |
賢治の母の碑
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・説明:
・桜地人館(旧佐藤郷志館)
宮沢賢治と親交のあった佐藤隆房が個人的に創った展示館
賢治の資料を初め高村光太郎、万鉄五郎そして船越保武の作品、及び隆房の奥さんが集めた
「花巻人形」等が展示されている。
・宮沢賢治の母「イチ」
1877年花巻市に生まれ、1893年に賢治の父、宮沢政次郎(19歳)、イチ(16歳)で結婚
3年後の1896年に長男賢治が誕生。
母いちは、優しく気品があって立派な女性で、子供を信じ、尊敬しながら育て、「人のために
・・」が口癖、この母あっての賢治と思います。 |
母
雪袴黒くうがちし うなゐの子瓜食みくれば
風澄めるよもの山はに うづまくや秋の白雲
その身こそ瓜も欲りせん 齢弱(としわか)き母にしあれば
手すさびに紅き萱穂を つみつどへ野をよぎるなり
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年 建立 |
2011.6.19 撮影

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羅須地人(らすちじん)協会跡 |
・場所:岩手県花巻市桜町4丁目 羅須地人協会跡 Yahoo地図 |
宮澤 賢治(みやざわ けんじ)
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・説明:1896−1933年 37歳 花巻市生まれ 花巻農学校教師 家を出て農耕・自炊の生活に入る 東北砕石工場の技師 詩人、童話作家、農業科学鉱物研究者 |
「雨ニモマケズ」詩碑 |
・説明:1926年(大正15年)3月に花巻農学校を退職し、4月に宮沢家の別宅であったこの場所に移り、独居自炊で2年間みずから農民となって、農民とともに科学と文化を共有し発展させるという理想を目ざした。 命日の9月21日には毎年この碑の前で賢治祭が開かれています |
野原ノ松ノ林ノ蔭の小サナ萱ブキノ小屋二ヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイイトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズ クニモサレズ
サウイフモノニ「ワタシハナリタイ
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意:
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1936年(昭和11年) 建立 碑文追刻1946年(昭和21年) 揮毫:高村光太郎
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2014.5.28

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賢治文学散歩道
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・説明:花巻市桜町4 丁目の「雨ニモマケズ」の宮澤賢治詩碑から朝日橋を通って川沿いを巡り、新花巻駅近くの胡四王山周辺までの10.1kmの散歩コース
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・場所:花巻市桜町4丁目 Yahoo地図
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・・・云はなかったが、おれは四月にはもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう・・・
告別(1925.10.25)より抜粋
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宮沢賢治30歳。 賢治には4年余勤めた花巻農学校を辞してでも果たさなければならない使命がありました。
ほんとうの百姓となり、自らが高らかに掲げた「農民芸術の理想」実現への挑戦です。
ここ、下根子・桜の地こそがその道場でした。3年に満たない活動でしたが、この地で生まれた多くの作品に私達は賢治の求道の姿を見ることができます。
花南地区コミュニティ会議は、宮沢賢治がこの地に刻んだ足跡を顕彰し、この地から生まれた作品を碑として設置しました。
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年 建立
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2014.5.28

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春 1926.5.2 |
陽が照って鳥が啼き あちこちの楢の林も けむるとき きちきちと鳴る
汚ない掌を おれはこれからもつことになる
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年 建立
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2014.5.28

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「あすこの田はねえ」 1927.7.10
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あすこの田はねえ あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水(みず)を切ってね 三番除草はしないんだ
・・・一しんに畔を走って来て 青田のなかに汗拭くその子・・・
燐酸がまだ残ってゐない? みんな使った? それではもしもこの天候が
これから五日続いたら あの枝垂れ葉をねえ 斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
・・・せわしくうなづき汗拭くその子 冬講習に来たときは
一年はたらいたあととは云へ まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
いまはもう日と汗に焼け 幾夜の不眠にやつれてゐる・・め
それからいゝかい 今月末にあの稲が 君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ 葉尖を刈ってしまふんだ
・・・汗だけでない 泪も拭いてゐるんだな・・・
君が自分でかんがへた あの田もすっかり見て来たよ 陸羽一三二号のはうね
あれはずゐぶん上手に行った 肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる 硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが あっちは少しも心配ない 反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ しっかりやるんだよ これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から 義理で教はることでないんだ きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながら からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ ではさようなら
・・・雲からも風からも 透明な力が そのこどもに うつれ・・・ |
年 建立
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2014.5.28

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弥助橋わき |
岩手県造園組合花巻分会結成二十五周年記念碑 |
・説明: |
マコトノ草ノ 種マケリ 精神歌より
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平成12年 建立 花巻市長 渡辺 勉 書
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2014.5.28

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饗宴 1926.9.3
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酸っぱい胡瓜をぼくぼく噛んで みんなは酒を飲んでゐる
・・・・土橋は曇りの午前にできて いまうら青い榾のけむりは
稲いちめんに這ひかゝり そのせきぶちの杉や楢には
雨がどしゃどしゃ注いでゐる・・・・
みんなは地主や賦役に出ない人たちから 集めた酒を飲んでゐる
・・・・われにもあらず ぼんやり稲の種類を云ふ こゝは天山北路であるか・・
さっき十ぺん あの赤砂利をかつがせられた 顔のむくんだ弱さうな子が
みんなのうしろの板の間で 座って素麺〔むぎ〕をたべてゐる
(紫雲英植れば米とれるてが 藁ばりとったて間に合ぁなじゃ)
こどもはむぎを食ふのをやめて ちらっとこっちをぬすみみる
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詩意:
紫雲英(ハナコ):ゲンゲ:レンゲ草
賦役:ふえき:農民のような特定階級の人々に課せられた労働
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年 建立
「校本宮澤賢治全集第四巻」(筑摩書房)
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2014.5.28

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