岩手県八幡平市
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| 岩手山SA(下り) |
| ・場所:岩手県八幡平市平笠 Yahoo!地図 |
| 石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ
滝沢村転居 渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係 歌人、詩人、評論家 |
ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな
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歌意:日常生活で積もった不平や不満がふるさとの山を見ているだけで洗い流され、もう何も残っていない。そこにあるだけで心を癒してくれるふるさとの山とは本当に大切なものだ
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1989年(平成元年)日本道路公団 建立
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2014.7.20

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岩手山SA(上り)
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| ・場所:岩手県八幡平市平笠 Yahoo!地図 |
| 石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ
滝沢村転居 渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係 歌人、詩人、評論家 |
神無月 岩手の山の 初雪の 眉にせまりし 朝を思ひぬ
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1989年(平成元年)日本道路公団 建立
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2014.7.21

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西根第一中学校
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| ・場所:岩手県八幡平市堀切 Yahoo!地図 |
| 石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ
滝沢村転居 渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係 歌人、詩人、評論家 |
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ふるさとの 山に向ひて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな
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1980年(昭和55年) 角掛 建立
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| 南部富士カントリークラブハウス裏側 |
| ・場所:岩手県 Yahoo!地図 |
| 石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ
滝沢村転居 渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係 歌人、詩人、評論家 |
かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川
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| 1976年(昭和51年) 建立 |
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| JR平舘駅 |
| ・場所:岩手県八幡平市平舘11 Yahoo!地図 |
| 石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ
滝沢村転居 渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係 歌人、詩人、評論家 |
たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず
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| 年 建立 |
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大泉院
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・場所:岩手県八幡平市平舘24-41 Yahoo!地図
・説明:啄木の父一禎が仏門に入ったところ
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| 石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ
滝沢村転居 渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係 歌人、詩人、評論家 |
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わが父は 六十にして 家をいで 師僧のもとに 聴聞ぞする
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| 年 建立 |
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大泉院裏庭園
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| 石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
ふるさとの 寺の御廊に 踏みにける 小櫛の蝶を 夢にみしかな
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| 年 建立 |
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平舘深山(大泉院近く)
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・場所:岩手県八幡平市平舘新山24-77
・説明:啄木の代用教員時代の同僚、文学上の友人だった堀田秀子について歌った歌碑 |
| 石川 啄木(いしかわ たくぼく) |
・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ
滝沢村転居 渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係 歌人、詩人、評論家 |
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・説明:啄木の代用教員時代の同僚、文学上の友人だった堀田秀子について歌った歌碑 |
かの家の かの窓にこそ 春の夜を 秀子とともに 蛙聴きけれ
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| 年 建立 |
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| 焼走り熔岩流東側 |
| ・場所:岩手県八幡平市平笠24-728 キャンプ場 Yahoo!地図 |
| 宮澤 賢治(みやざわ けんじ) |
| ・説明:1896−1933年 37歳没 花巻市生まれ 花巻農学校教師 家を出て農耕・自炊の生活に入る 東北砕石工場の技師 詩人、童話作家、農業科学鉱物研究者 |
「鎔岩流」
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喪神のしろいかがみが 薬師火口のいただきにかかり
日かげになつた火山礫堆の中腹から 畏るべくかなしむべき砕塊熔岩の黒
わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから
なにかあかるい曠原風の情調を ばらばらにするやうなひどいけしきが
展かれるとはおもつてゐた けれどもここは空氣も深い淵になつてゐて
ごく強力な鬼神たちの棲みかだ 一ぴきの鳥さへも見えない
わたくしがあぶなくその一一の岩塊をふみ すこしの小高いところにのぼり
さらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き 雲はあらはれてつぎからつぎと消え
いちいちの火山塊の黒いかげ 貞享四年のちいさな噴火から
およそ二百三十五年のあひだに 空氣のなかの酸素や炭酸瓦斯
これら清洌な試薬によつて どれくらゐの風化が行はれ
どんな植物が生えたかを 見やうとして私の来たのに対し
それは恐ろしい二種の苔で答へた
その白つぽい厚いすぎごけの 表面がかさかさに乾いてゐるので
わたくしはまた麺麭ともかんがへ ちやうどひるの食事をもたないとこから
ひじやうな饗應ともかんずるのだが (なぜならたべものといふものは
それをみてよろこぶもので それからあとはたべるものだから)
ここらでそんなかんがへは あんまり僭越かもしれない
とにかくわたくしは荷物をおろし 灰いろの苔に靴やからだを埋め
一つの赤い苹果をたべる うるうるしながら苹果に噛みつけば
雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き
野はらの白樺の葉は紅や金やせはしくゆすれ
北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる
(あれがぼくのしやつだ青いリンネルの農民シヤツだ)
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詩意:
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| 年 建立 |
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| 焼走り熔岩流東側 |
| ・場所:岩手県八幡平市平笠24-728(岩手山焼走り国際交流村)Yahoo!地図 |
| 江間 章子(えま しょうこ) |
・説明:1913−2005年 新潟県高田市生まれ 唱歌の作詞家 詩人
1915年父の死亡後母の実家の岩手県八幡平市平舘に移住 1925年静岡県に転居
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| 「ベゴの舌」 |
私のふるさとでは水芭蕉をベゴの舌と呼ぶ
ひとの声も聞こえぬ ただ、 さんざめく水のながれ 空を映し、 ながれる雲を映し 六月ともなれば そのほとりにベゴの舌が花をひらく 清純にやどる素朴 豪華な野の宴
だれによびかけることもなく だれにふりかえられることもなく
はてしなく 水のながれのままに − |
| 年 建立 |
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八幡平市博物館広場
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・場所:叺田230(八幡平市博物館広場)
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| 香川 弘夫(かがわ ひろお) |
| ・説明: |
津軽の手踊りおどる おんなの目に 北の海のように光る
涙を見た 津軽街道に 龍胆の花 こぼれる日
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意:
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年 建立
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見返り峠駐車場
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・場所:岩手県八幡平市 八幡平アスピーデライン 見返り峠駐車場
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| 金田一 京助(きんだいち きょうすけ) |
・説明:1882−1971年 盛岡市生まれ 東京帝国大学文科大学言語学科卒
國學院大教授 東京帝国大教授 國學院大學名誉教授 東京帝国大学文学博士
歌人・石川啄木は、盛岡中学時代の後輩で親友。金をよく貸したことでも有名。金田一自身も元々は歌人志望であった。 |
もみぢ葉の おりなすにしき おとも無し みちのくのやま みちのくのむら
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歌意:
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年 建立
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