| 岩手県平泉町 |
卯の花清水(うのはのなしみず)
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| ・場所:岩手県西磐井郡平泉町平泉柳御所地内 卯の花清水 Yahoo!地図 |
河合 曽良(かあい そら)
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・説明:1649−1710年 長野県諏訪市生まれ 俳諧師 芭蕉の奥の細道に同行した弟子
蕉門十哲
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卯の花に 兼房みゆる 白毛かな
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句意:白く咲いている卯の花を見ているとこの地で主君義経の最期を守るため白髪を振り乱して 奮戦した十郎権頭兼房の姿が彷彿として蘇ってくる。
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1938年(昭和13年) 一関細道会 建立
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2003.5.3

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月見坂入口弁慶の墓
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| ・場所:岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関地内中尊寺表参道入口前広場 Yahoo!地図 |
・説明:1189年(文治5年)義経の居城高館焼討されるや、弁慶は最後まで主君を守り遂に衣川にて立往生す。遺骸をこの地に葬り五輪塔をたて、後世中尊寺の僧素鳥の詠んだ石碑が建てられた。
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素鳥(そちょう)/慈眼庵素鳥(じげんあん そちょう)
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・説明:平泉出身の 俳人で中尊寺の僧
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色かへぬ 松のあるじや 武蔵坊
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句意:
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年 建立
1189年(文治5年)義経の居城高館焼打をされるや、弁慶は最後まで主君義経を守り、遂に衣川にて立ち往生す。遺骸をこの地に葬り五輪塔をたて、後世中尊寺の僧素鳥の詠んだ石碑が建てられた。
武蔵坊弁慶:?−1189年(文治5年) 和歌山県田辺市生まれ 比叡山の僧
五条の大橋で義経と出会って以来、彼に最後まで仕えたとされる。講談などでは義経に仕える怪力無双の荒法師として名高い。
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2013.6.23

2013.6.23

2013.6.23

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| 観光道路あずま屋 |
・場所: 「鈴懸の道」(中尊寺と毛越寺の道路)中間点 Yahoo!地図
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| ・説明:鈴懸(すずかけ)の道: 毛越寺の前から、鐘ガ岳という山を回って中尊寺に出る遊歩道 |
加藤 楸邨(かとう しゅうそん)
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・説明:1905−1993年 88歳没 東京生まれ 国文学者 俳人 本名:健雄(たけお)
生活に密着した人間臭の濃い句風で知られる人間探究派
1940年(昭和15年)「寒雷」を創刊 俳人の加藤知世子の夫
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邯鄲や みちのおくなる 一挽歌
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句意:
邯鄲(かんたん):こおろぎ |
1930年(平成5年) 建立 60トンの自然石
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2014.7.29

2014.7.29

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| 高舘義経堂(たかだちぎけいどう) |
・場所:岩手県平泉町平泉字柳御所14 Yahoo!地図
・説明:高館は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれています。現在では、その半ばを北上川に浸蝕され狭くなっていますが、この一帯は奥州藤原氏初代清衡公の時代から、要害地とされていました。兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経公は、藤原氏三代秀衡公の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来します。
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2013.6.23

2013.6.23

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三代の栄耀(えいえう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有
秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。
先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。
衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。
泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。
偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て
時のうつるまで泪(なみだ)を落し侍りぬ。
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| 松尾 芭蕉(まつおばしょう) |
・説明:1644−1694年 51歳没 三重県伊賀市出身 本名:松尾宗房(まつおむねふさ)
江戸時代前期の日本史上最高の俳諧師の一人 |
夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡
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句意:
1689年高舘で詠んだ |
1989年(平成元年) 建立
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2003.5.3

三代の栄耀(えいえう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有
秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。
先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。
衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。
泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。
偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て
時のうつるまで泪(なみだ)を落し侍りぬ。
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| 高舘義経堂(たかだちぎけいどう) |
| ・場所:岩手県平泉町平泉字柳御所14 Yahoo!地図 |
頼三樹三郎の漢詩の碑(らいみきさぶろう)
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・説明:1825−1859年 京都生まれ 江戸後期の儒学者
名は醇,字は子厚,子春,通称三樹三郎また三木八,号は鴨崖
ペリー来航後尊王攘夷論を唱え国事に奔走、安政の大獄に際して捕らえられ、死罪となる
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槻子為吾洗扁舟準擬攬古平泉游・・・
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意:小舟を仕立てて北上川を遡った。藤原全盛から600年は一睡の夢の間である。
判官館や衣川のたたずまいね義経と頼朝ね平泉と鎌倉の悲しい間柄る
そして、いま三代300年の豊土山川がいたずらに荒れはてて、ただ義経主従の操立てのみが悲しくよみがえる。草木孤兎までが鎌倉になびいた歴史の浮き沈みのはかなさ。夕日の影は古塔のあたりにかげり落ちて、ひしとお物寂しい。
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| 年 建立 |
2013.6.24

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高舘義経堂(たかだちぎけいどう)前
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| ・場所:岩手県平泉町平泉字柳御所14 Yahoo!地図 |
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| ・説明: |
| ?地? 高舘の慟哭す |
句意:
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年 建立
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2013.6.24

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