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陸奥の歌枕の地を訪ねて
(陸奥は山城・大和に次ぎ、三番目の「歌枕の国」)
武隈の松(たけくまのまつ)/二木の松(ふたきのまつ)
・場所:宮城県岩沼市二木2丁目2番(二木の松史跡公園) Yahoo!地図








西行 法師(さいぎょう ほうし)
・説明:1118−1190年 和歌山県那賀郡打田町生まれ 
   本名:佐藤義清(のりきよ)生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人。
 宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ。
山家集 1128

 枯れにける なき宿の   武隈は   みきと云ひても 効なからまし

 かれにける まつなきあとの たけくまは みきといひても かひなかるべし
 歌意:枯れてしまって松の姿の跡形すらない武隈は、「見き」といっても、「みきとこたへん」と詠まれたその幹はなく、甲斐のないことであろう。
 武隈の松は昔になりたりけれども、跡をだにとて見にまかりて詠める

 
 
   2004 撮影


 岩沼市指定文化財
 二木(ふたき)の松(武隈の松)(たけくまのまつ)
 この松は、陸奥の歌枕のなかでもその詠歌の多いことでは屈指の名木である。
 千余年前、陸奥の国司としてとして着任した藤原元良(善)が植え、以後能因・西行をはじめ多くの歌人に詠まれるようになった。
 元禄2年5月4日(1689年)現在の6月20日)、この松を訪れた松尾芭蕉は、「武隈の松にこそめ覚る心地はすれ。・・・めでたき松のけしきになん侍(はべり)し。」と「おくのほそ道」に記して「桜より松は二木を三月越シ」の旬で結び、曽良の「随行日記」には、「岩沼入口ノ左ノ方ニ、竹駒明神卜云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後二武隈の松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。」とある。
 この松は、植え継がれて七代目といわれ、文久2年(1862年)に植えられたものと伝えられている。
 昭和44年(1969年)5月29日、市の文化財に指定された。
 平成元年3月  岩沼市教育委員会

藤原 元善(良)(ふじわらの もとよし)
橘 季通(たちばなの すえみち)の碑
・場所:宮城県岩沼市二木2丁目2番(二木の松史跡公園) Yahoo!地図

藤原 元善(良)(ふじわらの もとよし)
・説明:?−937年 平安時代 陸奥の国司
後撰和歌集
 みちのくにの守にまかり下れりけるにたけくまの松の枯れて侍りけるを見て小松を植ゑつがせ侍りて任果てて後又同じ時にまかりなりてかのさきの任に植ゑし松を見侍りて
 宇恵し登き ち起里やしけ舞 多計久満の 松をふたたび  あ飛見つ留嘉那
 植ゑし時  ちぎりやしけむ たけくまの 松をふたたび  あひ見つるかな
 うえしとき ちぎりやしけむ たけくまの まつをふたたび あひみつるかな
 歌意:陸奥守として下向した時にこの松が枯れていたので小松を植え継がせたが、後年になって再任された時に松と再会できた歓びの歌
 
橘 季通(たちばなの すえみち)
・説明:平安時代中期 生没年不詳、平安時代中期の歌人
後拾遺和歌集 巻18−1041
 則光朝臣のもとに陸奥に下りて武隈の松をよみ侍りけり 
 堂希九万の 松八二木越   美屋古人  い可ヾと問八ヾ み起とこたへ舞
 武隈の   松はふた木を  都人    いかがと問はば みきとこたへむ 
 たけくまの まつふたきを みやこびと いかがとはば  みきとこたへむ
 歌意:
 1901年(明治34年) 建立 松尾小左衛門
右側 藤原 元善(良) 左 橘 季通 2014.6.2
 


 
 橘 為仲(たちばなの ためなか)
・説明:1014−1085年 平安時代後期の公家・歌人
    
陸奥守などの地方官を歴任。受領歌人の一人
 武隈の   跡をたずねて  ひきううる や千歳の   初めなるらん
 たけくまの あとをたずねて ひきううる まつやちとせの はじめなるらん
 歌意: 

 橘 為仲(たちばなの ためなか)
 故郷へ   我は帰りぬ   武隈の   まつとはたれに つげよかと思ふ
 ふるさとへ われはかえりぬ たけくまの まつとはたれに つげよかとおもう
 歌意: 

 

藤原 基俊(ふじわらの もととし)
・説明:1060−1142年 平安時代後期の公家・歌人
新古今集 878
 帰り来む  ほど思ふにも  武隈の   まつわが身こそ いたく老いぬれ
 かえりこむ ほどおもふにも たけくまの まつわがみこそ いたくおいぬれ
 歌意:

 
 
加舎 白雄(かや しらお)
・説明:1738−1791年 江戸中期の俳人 与謝蕪村などと共に中興五傑の一人
・1773年 訪れて詠んだ
         がもと  ふた木の露を  うけしらむ
         まつがもと ふたきのつゆを うけしらむ 
 句意:


和知 風光(わち ふうこう)
・説明:1701−1755年 55歳没 白河の俳人 別名:夕顔庵、巽々坊
1751年 武隈の松を訪れて詠んだ
        武隈の   松こそ見せね  大しくれ
        たけくまの まつこそみせね おおしくれ
 句意: