東北の歌枕の地を訪ねて
(陸奥は山城・大和に次ぎ、三番目の「歌枕の国」)
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| 緒絶橋(おだえのはし) |
・場所:宮城県大崎市古川七日町 Yahoo!地図
・説明:平安の昔、嵯峨天皇の皇子の恋人白玉姫は、皇子を探し当てられず悲嘆の余り川に身を投げました。玉の緒(生命)が絶えたところから緒絶川、緒絶橋と呼ぶようになり、悲恋の草枕になった。
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左京太夫(さきょうのだいぶ)/藤原 道雅(ふじわらの みちまさ)
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・説明:992-1054年 平安時代中期の公卿・歌人。藤原伊周の長男
中古三十六歌仙の1人
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御拾遺和歌集
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みちのくの をだえの橋や 是ならん ふみみふまず みこころまどはす
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みちのくの をだえのはしや これならん ふみみふまず みこころまどはす
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歌意:みちのくにある緒絶えの橋というのはこれなのであろう。踏み渡ったり渡らなかったり(文を見たり見なかったり)ちょうど、いつ断ち切れてしまうかわからない橋を、踏んだり踏まなかったり、ビクビクしながら渡るようなものだ。
「踏み」と「文」との掛詞
緒絶え:縁の切れること「愛の途絶」意味する。
悲恋の歌枕 緒絶えの橋を全国に広めた歌 |


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| 緒絶橋(おだえのはし)を詠んだ歌 |
藤原 定家(ふじわら さだいえ)
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・説明:1162-1241年 鎌倉時代初期の公家・歌人 藤原俊成の子
「ていか」と音読みされることが多い。
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| 続後撰和歌集 |
白玉の 緒絶のはしの 名もつらし くだけて落つる 袖の涙に
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しらたまの をだえのはしの なもつらし くだけておつる そでのなみだに
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・歌意:悲しさに袖を涙に濡らしているとき、緒絶の橋という名を聞くは辛く悲しいことである。
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鶴田 卓池(つるた たくち)
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・説明:1768-1846年 愛知県生まれ 江戸時代後期の俳人
・訪れた日:1791年 緒絶の橋を訪れて詠んだ
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人こゝろ 緒絶のはしに 立かへり 木の葉降しく 秋の通ひ路
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ひとこゝろ をだえのはしに たちかへり このはおりしく あきのかよいじ
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・歌意:
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