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陸奥の歌枕の地を訪ねて
(陸奥は山城・大和に次ぎ、三番目の「歌枕の国」)
宮城野(みやぎの)
・場所:仙台市宮城野区
・説明:宮城野の歌は
の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
    鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「
」「」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。

宮城野(みやぎの)通り
・場所:仙台市宮城野区宮城野
・説明:宮城野の歌は
の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
    鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「
」「」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。
 
永縁(えい えん)/初音僧正
・説明:1048−1125年 78歳 通称:初音僧正  興福寺権僧正
堀河百首
 みやぎのの あきのはぎはら わけゆけば 上ばのつゆに  袖ぞぬれぬる
 みやぎのの あきのはぎはら わけゆけば うえばのつゆに そでぞぬれぬる
 歌意:
2013.2.21




 
 えん
宮城野八幡神社/永野氏邸
・場所:仙台市宮城野区銀杏町7-37 永野氏邸  Yahoo!地図
遠藤 日人(えんどう あつじん)
・説明:1757−1836年 石巻市桃生町寺崎生まれ 仙台藩士
  俳諧を白居に、儒学を志村五城に学ぶ
  本名:木村 定矩(きむらさだのり) 通称は伊豆之輔 遠藤清左衛門
  別号に竹林舎、木間庵、言外堂など
       宮城野を  大根植ゑて   へらしけり
       みやぎのを だいこんうえて へらしけり
 句意:
 1913年(大正2年) 永野栄助 建立年(年)建立
2013.1.20




 榴岡公園
・場所:仙台市宮城野区五輪一丁目3 Yahoo地図
遠藤 日人(えんどう あつじん) 
・説明:1757−1836年 石巻市桃生町寺崎生まれ 仙台藩士
  俳諧を白居に、儒学を志村五城に学ぶ
  本名:木村 定矩(きむらさだのり) 通称は伊豆之輔 遠藤清左衛門
  別号に竹林舎、木間庵、言外堂など
        宮城野を  大根植えて   へらしけり
        みやぎのを だいこんうえて へらしけれ
 句意:
 1974(昭和49年) 建立
2014.11.21




宮城野原を詠んだ歌
河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう) 
・説明:1873−1937年 愛媛県生まれ 俳人・随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)
    少年の頃は正岡子規の友人
宮城野の ひろきを萩の ところどこ
 句意:
 年   建立

 

宮城野(みやぎの)通り
・場所:仙台市宮城野区宮城野
・説明:宮城野の歌は
の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
    鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「
」「」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。
 
後鳥羽 天皇(ごとば てんのう)
後鳥羽院御集
 月すめば  露を霜かと   みやぎ野の こはぎが原は  なほ秋のかぜ
 つきすめば つゆをしもかと みやぎのは こはぎがはらは なほあきのかぜ
 歌意:
2013.2.21


2013.2.21



 
 

西行 法師(さいぎょう ほうし)
・説明:1118−1190年 和歌山県那賀郡打田町生まれ 
  本名:佐藤義清(のりきよ)生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人。
 宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ。
 
山家集

 あはれいかに 草葉の露の   こぼるらむ 秋風立ちぬ   宮城野の原

 あはれいかに くさはのつゆの こぼるらむ あきかぜたちぬ みやぎのはら
 歌意:草の葉に露が散りこぼれていることだろう。今、秋風が吹いた宮城野の原よ


宮城野(みやぎの)
・場所:仙台市宮城野区宮城野
・説明:宮城野の歌は
の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
    鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「
」「」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。
慈円(じえん)/吉水 僧正(よしなが そうじょう)
・説明:1155−1225年 平安時代末期から鎌倉時代の天台宗の僧 藤原忠道の子
拾玉集 
 宮ぎ野や  しもやたびおく のうへに  かれぬはの  ひかりなりけり
 みやぎのや しもやたびおく はぎのうへに かれぬはつきの ひかりなりけり
 歌意:
2013.2.21


2013.2.21




慈円(じえん)/吉水 僧正(よしなが そうじょう)
 草枕    また宮城野の  にして  浅くも秋を   ながめつるかな
 くさまくら またみやぎのの つゆにして あさくもあきを ながめつるかな
 歌意:


 榴岡公園
・場所:仙台市宮城野区五輪一丁目3 Yahoo地図
宗久 法師(そうきゅう 法師)
・説明:生没年未詳 南北朝時代の僧 歌人 
 宮城野の  萩野名に立つ  もとあらの 里はいつより  荒れはじめけん
 みやぎのの はぎのなにたつ もとあらの さとはいつより あれはじめけん
 歌意:
 名取川を渡って宮城野に入り、その風情に感動。ほかと異なった色をした萩を一枝折り、人の住んでいた往時を偲び和歌一首を詠みました。  
 1974(昭和49年) 建立
2014.11.21


 

宮城野を詠んだ歌
・場所:仙台市宮城野区五輪一丁目3 Yahoo地図
曽根 好忠()
 
宮城野の 焼野の萩の 下葉より 本荒に咲く 花を待つかな 
・説明:
  
 歌意:
 名取川を渡って宮城野に入り、その風情に感動。ほかと異なった色をした萩を一枝折り、人の住んでいた往時を偲び和歌一首を詠みました。  
 1974(昭和49年) 建立
 
 
宮城野を詠んだ歌
高浜 虚子(たかはま きょし)
・説明:1874−1959年 愛媛県松山市生まれ 明治から昭和の俳人、小説家
 本名:清 虚子号は本名をもじって正岡子規によりつけられた
 京都の旧制第三高等学校入学、碧梧桐も後れて入学同居し俳友とも交わった。
 学制改革でともに仙台の二高に移ったが、文学への念強く1894年そろって退学上京
 1898(明治31年)松山から発行されていた「ホトトギス」を引き継いで東京から編集発行し、俳句とともに写生文や小説を掲載、明治38年からは夏目漱石の「吾輩は猫である」「坊つちやん」などの掲載で誌名を高めた。

          宮城野の  萩喰いさかる  軍馬かな   
          みやぎのの はぎくいさかる ぐんばかな
 句意:


榴岡公園
・場所:仙台市宮城野区五輪一丁目
伊達 政宗(だて まさむね)
・説明:1567−1636年 米沢市生まれ 仙台藩初代藩主
 我宿の   庭の村萩    咲きしより 思いぞいづる  宮城野の原
 わがやどの にわのむらはぎ さきしより おもいぞいづる みやぎののはら
 歌意:
 京都屋敷にて 68歳の作
 1974(昭和49年) 建立


  

宮城野を詠んだ歌
能因(のういん)
・説明:988−没年不詳 平安時代の歌人 26歳の時出家し、摂津国に住む。奥州・伊予・美作などを旅した。
 俗名:橘永ト
(たちばなのながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称
 宮城野を  思い出つつ   植えにける 本荒の小萩    花咲きにけり
 みやぎのを おもいいでつつ うえにける もとあらのこはぎ はなさきにける
 歌意:
 

宮城野を詠んだ歌
藤原 敦仲(ふじわらの あつなか)
・説明:906−943年 平安時代中期の公家・歌人
 通称は枇杷中納言・本院中納言。小倉百人一首では権中納言敦忠
千載和歌集
 小原   まだ花さかぬ  宮城野の  鹿やこよひの  になくらむ
 こはぎはら まだはなさかぬ みやぎのの しかやこよひの つきになくらむ
 歌意:一面の小萩がまだ花をつけぬ宮城野の鹿は、今宵の月に秋を感じて泣くのだろうか

 
宮城野を詠んだ歌
藤原 有家(ふじわらの ありいえ)
・説明:1155−1216年 平安時代末,鎌倉時代初期の歌人 大宰大弐重家の子 
 宮城野の  木の下わくる  旅の袖   をたよりの  秋の花ずり
 みやぎのの きのしたわくる たびのそで つゆをたよりの あきのはなずり
 歌意:

 
宮城野を詠んだ歌
藤原 家隆(ふじわらの いえたか)
・説明:1158−1237年 鎌倉時代初期の公卿、歌人
   「かりゅう」とも呼ばれる。 初名:顕隆。法名は仏性、壬生二位
  
 宮城野は  宿かる袖も   松虫の   鳴く夕かげの  のうは
 みやぎのの やどかるそでも まつむしの なくゆうかげの はぎのうはつゆ
 歌意:

 
宮城野を詠んだ歌
藤原 定家(ふじわらの さだいえ(ていか))
・説明:1162−1241年 鎌倉時代初期の公家・歌人 藤原俊成の子
 「ていか」と音読みされることが多い。
 
 移りあへぬ  花のちくさに  みだれつつ 風のうへなる  宮城野
 うつりあへぬ はなのちくさに みだれつつ かぜのうへなる みやぎののつゆ
 歌意:

 
宮城野を詠んだ歌
藤原 俊成 女(ふじわらの としなりの むすめ)
・説明:1171?−1254?年 藤原俊成の養女。実父は尾張守左近少将藤原盛頼、母は八条院三条
 別名:皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女、侍従具定母、三位侍従母、晩年出家してからは嵯峨禅尼、越部禅尼嵯峨禅尼、越部禅尼
 鎌倉時代前期の歌人。新三十六歌仙及び女房三十六歌仙の一人
 宮城野の  秋にみだるる  虫の音に  とふ風を   そでにまがへて
 みやきのの あきにみだるる むしのねに つゆとふかぜを そでにまがへて
 歌意:

 

宮城野(みやぎの)通り
・場所:仙台市宮城野区宮城野
・説明:宮城野の歌は
の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
    鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「
」「」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。
 
藤原 長能(ふじわら ながとう)(ながよし)
後捨遺和歌集
 宮城野に  妻よぶ鹿ぞ  さけぶなる もとあらのに  や寒けき
 みやぎのに 妻よぶしかぞ さけぶなる もとあらのはぎに つゆやさむけき
 歌意:宮城野で妻を呼ぶ鹿の叫び声がする。今頃は根本の葉のまばらな萩に露が寒々とおいているのだろうか。
2013.2.21


2013.2.21


 
 
藤原 秀能(ふじわらの ひでとう)(ひでよし)
・説明:1184−1240年  鎌倉時代初期の武士、公家、歌人 
 如願法師集
 宮木のの  の古枝に    霜さえて  かわらぬに  秋ぞのこれる
 みやぎのの はぎのふるえだに しもさえて かわらぬつきに あきぞのこれる
 歌意:
2013.2.21






宮城野を詠んだ歌
藤原 秀能(ふじわらの ひでとう)(ひでよし)
・説明:1184−1240年  鎌倉時代初期の武士、公家、歌人 
 宮城野の  うつろふ秋に  あしびきの 山立ちならし  鹿ぞ鳴くなる
 みやぎのの うつろふあきに あしびきの やまたちならし しかぞなくなる
 歌意:


宮城野を詠んだ歌
藤原 雅経(ふじわらの まさつね)
飛鳥井 雅経(あすかい まさつね)
 ふる里を  しのぶもぢずり みだれ  木の下しげき  宮城野の原
 ふるさとを しのぶもぢずり つゆみだれ きのしたしげき みやぎののはら
 歌意:

 
 
宮城野を詠んだ歌
藤原 基俊(ふじわらの もととし)
・説明:1060−1142年 平安時代後期の公家・歌人 
 千載和歌集
・説明:1060−1142年 平安時代後期の公家・歌人
 宮城野の  やをじかの  つまならむ 花さきしより  声の色なる
 みやぎのの はぎやをじかの つまならむ はなさきしより こえのいろなる
 歌意:

 
宮城野(みやぎの)通り
・場所:仙台市宮城野区宮城野
・説明:宮城野の歌は
の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
    鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「
」「」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。
 
藤原 良経(ふじわら よしつね)
・説明:1169−1209年 平安末〜鎌倉初期の公家 歌人 号は中御門殿,後京極殿 
秋篠月清集 
 わすれずよ かりねにを  宮ぎ野の まくらにちかき さをしかのこえ
 わすれずよ かりねにつきを みぎのの まくらにちかき さをしかのこえ
 歌意:
2013.2.21 






宮城野(みやぎの)通り
・場所:仙台市宮城野区宮城野
・説明:宮城野の歌は
の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
    鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「
」「」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。
 
源 俊頼(みなもとの としより)
・説明:1055−1129年 75歳 平安時代後期の官人・歌人  
千載和歌集
 さまざまに こころぞとまる 宮ぎのの  花のいろいろ  むしのこえごえ
 さまざまに こころぞとまる みやぎのの はなのいろいろ むしのこえごえ
 歌意:
2013.2.21 




 


榴岡公園
・場所:仙台市宮城野区五輪一丁目
源 俊頼(みなもとの としより) 
・説明:1055−1129年 75歳 平安時代後期の官人・歌人  
 さまざまに 心ぞとまる   宮城野の  花のいろいろ  虫のこゑごゑ
 さまざまに こころぞとまる みやぎのの はなのいろいろ むしのこえごえ
 歌意:
 1974(昭和49年) 建立



榴岡公園
・場所:仙台市宮城野区五輪一丁目
源 俊頼(みなもとの としより)
・説明:1055−1129年 75歳 平安時代後期の官人・歌人
 とりつなげ 玉田横野の   はなれ駒  つづじが岡に  あせびはなさく
 とりつなげ たまだよこのの はなれこま つづじがおかに あせびはなさく
 歌意:野田横野に放し飼いにしている馬をつなぎなさい。つつじが岡に馬酔木が咲いています
 1974(昭和49年) 建立



 

宮城野を詠んだ歌
源 具親(みなもとの ともちか)
・説明:生没年不詳 鎌倉時代初期の官人・歌人
    新三十六歌仙の一人
 
 宮城野の  草葉のを   あらそひて また故郷を   たれおもふらん
 みやぎのの くさはのつゆを あらそひて またふるさとを たれおもふらん
 歌意:
 
 
宮城野を詠んだ歌
源 通光(みなもとの みちてる)
久我 通光(こが みちてる)
・説明:1187−1248年 鎌倉時代中期の公卿、歌人 
 旅人の   袖のあらしの  秋更けて  しらぬ散る  宮城野の原
 たびびとの そでのあらしの あきふけて しらぬつゆちる みやぎののはら
 歌意:


宮城野(みやぎの)通り
・場所:仙台市宮城野区宮城野
・説明:宮城野の歌は
の縁語で鹿を組み合わせて多く詠われました。
    鹿は萩から離れても詠まれるようになり、後には「
」「」などが取り合わせて詠まれるようにもなった。
紫 式部(むらさき しきぶ)が作者というのが通説
桐壺帝(きりつぼてい)源氏物語・桐壺
・説明:生没年不詳  平安時代中期の女性作家、歌人。「源氏物語」の作者と考えられている。
 中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人
 源氏物語・桐壺
 宮城野の  吹きむすぶ  風の音に  小がもとを  思ひこそやれ
 みやぎのの つゆふきむすぶ かぜのねに こはぎがもとを おもいこそやれ
 歌意:宮中を吹き渡る野分の風の音を聞くと、母君の里にいる若君(小萩)のことを心もとなく思いやるのです


 




宮千代児童公園
・場所:宮城県宮城野区宮千代1 Yahoo!地図
宮千代(みやちよ)
・説明:
 月は露   つゆは草葉に  宿借りて  それこそそれよ 宮城野の原
 つきはつゆ つゆはわかばに やどかりて それこそそれよ こみやぎののはら
 歌意:草場の上に宿を借りた露が月の光を浴びて光り輝いている。なんて宮城野原は美しいのだろうか。
 
見仏上人が下の句を詠んだと言われる。
 1893年(明治26年) 発起人太田熊蔵ほか五人  建立
 瑞厳寺に、和歌を好み、才能ゆたかな宮千代という美少年がいた。 宮千代は和歌修行の為都にのぼる途中、宮城野の美しさに魅せられて「月は露 露は草葉に 宿かりて」と詠んだが、下の句が続かず苦しみながら亡くなった。 村人は松を植え塚を築いて弔ったが、夜になると宮千代の霊が「月は露・・・」と吟じて、通る人をこわがらせた。 このことを知った松島寺の徹翁(見仏上人)は、下の句「それこそそれよ 宮城野の原」と続けた。 それから地下からの声が聞こえなくなったという。
2013.1.20




宮城野を詠んだ歌
御製
最勝四天王院障子和歌 00431
 宮城野や  あかつき寒く  ふく風に  なく音もよわき  きりぎりすかな
 みやぎのや あかつきさむく ふくかぜに なくおともよわき きりぎりすかな
 歌意:


宮城野を詠んだ歌
覚延 法師(  ほうし)
・説明: 
千載和歌集 卷第五 00316
 宮城野の  小が原を   ゆく程は  鹿の音をさへ  わけて開く哉
 みやぎのの こはぎがはらを ゆくほどは しかのねをさへ わけてきくかな
 歌意:
 

榴岡公園
・場所:仙台市宮城野区五輪一丁目
詠み人知らず
古今和歌集 
 宮城野の  もとあらの小  つゆをおもみ 風を待つごと  君をこそまて
 みやぎのの もとあらのこはぎ つゆをおもみ かぜをまつごと きみをこそまて
 歌意:宮城野の、下葉もまばらになった萩は、露が重いので吹き払う風を待っています。
 私も、あなたのおいでをいちずにまっています。
 1974(昭和49年) 建立



宮城野を詠んだ歌
詠み人知らず
古今集 東歌

 みさぶらひ 御笠と申せ   宮城野の  木の下は   雨にまされり

 みさぶらひ みがさともうせ みやぎのの このしたつゆは あめにまされり
 歌意:みさぶらひ御笠:お供の人よ、ご主人さまに「御笠」を勧めよ
    この下露:木の下から落ちる露
    お供の人よ、宮城野の木から落ちる露は雨以上だから御笠を勧めなさい