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東北の歌枕の地を訪ねて
(陸奥は山城・大和に次ぎ、三番目の「歌枕の国」)
雄島(おじま)
・場所:宮城県宮城郡松島町松島 Yahoo!地図
・説明:日本三景「松島」の地名のルーツとされる雄島がある。「瑞巌寺の奥の院」とも称される雄島は、東西40m、南北200mほどの島で、朱塗りの渡月橋で陸と結ばれている。島内に点在する岩窟には、諸国から渡った修行僧が刻んだ卒塔婆や仏像、法名などが数多く見られ、霊場としての風景を今にとどめている。
 松島=待つ、雄島=惜しむ と云い掛けたもの

雄島(おじま)を詠んだ歌
源 重之(みなもとの しげゆき)
・説明:生没年未詳 平安時代中期の官人、歌人  源兼信の子  三十六歌仙の一人
    陸奥守藤原実方に随行し、陸奥で没した

後拾遺

 松島や   をじまの磯に  あさりせし 海人の袖こそ  かくはぬれしか

 まつしまや をじまのいそに あさりせし あまのそでこそ かくはぬれしか
 歌意:雄島の漁師の袖は、このように濡れていたなあ、私は恋の涙で袖を濡らしているけど


雄島(おじま)を詠んだ歌 
殷富門院 大輔(いんぷもんいんの たいふ)
・説明:1131−1200年頃 後白河天皇の第一皇女
    1192年に出家し、尼となる
千載和歌集
 見せばやな 雄島のあまの  袖だにも  濡れにぞ濡れし 色は変わらず
 みせばやな おじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかわらず
 歌意:涙で色が変わった私の袖をあなたに見せたいものです。松島にある雄島の漁師の袖でさえ、波をかぶって濡れに濡れても色は変わらないというのに。


雄島(おじま)を詠んだ歌 
宮内卿(くないきょう)/後鳥羽院の官女源師光の女
・説明:生没年不詳 鎌倉時代初期の女流歌人、新三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人
新古今和歌集
 心ある   雄島の海人の  袂かな   月宿れとは   濡れぬものから
 こころある おじまのあまの たもとかな つきやどれとは ぬれぬものから
 意:風流を解する雄島の海人の袂よ。月の光を宿すようにと思ってわざと濡れたわけではないのに


雄島(おじま)を詠んだ歌 
藤原 俊成(ふじわら としなり)
・説明:1114−1204年 平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人
新古今和歌集
 立ちかへり 又も来てみむ  松島や   雄島の苫屋   浪にあらすな
 たちかへり またもきてみん まつしまや おじまのとまや なみにあらすな
 意:寄せては返す波のように、きっとまた戻ってきてみよう。それまで雄島の苫屋を波で荒れさせないでいてほしい
 苫屋:菅(すげ)や茅(かや)で屋根を葺いた家


雄島(おじま)を詠んだ歌 
藤原 家隆(ふじわらの いえたか)
・説明:1158−1237年 鎌倉時代初期の公卿、歌人
   「かりゅう」とも呼ばれる。 初名:顕隆。法名は仏性、壬生二位

新古今和歌集
 秋の夜の  月や雄島の   海人のはら 明けかた近き  沖のつり船
 あきのよの つきやおじまの あまのはら あけかたちかき おきのつりふね 
 意:秋の夜の月が惜しいからか、雄島の海人は空の明けがたに釣舟で沖に出ている


雄島(おじま)を詠んだ歌 
藤原 有家(ふじわらの ありいえ)
・説明:1155−1216年 平安時代末,鎌倉時代初期の歌人 大宰大弐重家の子
新古今和歌集 704
 ゆく年を  雄島の海人の  濡れ衣   重ねて袖に   浪やかくらむ
 ゆくとしを おじまのあまの ぬれころも かさねてそでに なみやかくらむ
 歌意:ゆく年を惜しんでいる雄島の海人の潮に濡れた衣は、今また重ねてその袖に、別の涙の波をかけている


 雄島(おじま)を詠んだ歌
 藤原 有家(ふじわらの ありいえ)
新続古今 1004
 浪かゝる  雄島か磯の   かぢ枕   こゝろしてふけ 八重のしほ風
 なみかかる おじまのいその かぢまくら こころしてふけ やえのしほかぜ 
 歌意:波の音を聞きながら雄島の磯で船とまりをしている。
    幾重にも重なった波のなたから吹く潮風よ、静かにしておくれ


雄島(おじま)を詠んだ歌 
藤原 定家(ふじわらの さだいえ(ていか))
・説明:1162−1241年 鎌倉時代初期の公家・歌人 藤原俊成の子
 「ていか」と音読みされることが多い。

拾遺愚草
 袖ぞ今は   雄島の海士の  漁りせん  干さぬたぐいに 思ひけるかな
 そでぞいまは おじまのあまの いさりせん ほさぬたぐいに おもひけるかな
 歌意:私の袖は、いまはそこで雄島の漁師も漁をするほど涙を海のように湛えている。それなのに、涙が乾かない仲間だと思っている


雄島(おじま)を詠んだ歌 
式子内 親王(しきしない しんのう)
・説明:生年不詳−1201年 後白河天皇の第3皇女 平安末期,鎌倉初期の女流歌人
新古今和歌集
 松がねの  雄島が磯の   小夜枕   いたくな濡れそ  海人の袖かは
 まつがねの おじまがいその さよまくら いたくなぬれれそ あまのそでかは
 歌意:枕として旅寝する、松島の雄島の磯の松の根よ。ひどく濡れないでおくれ、海人の袖ではないのだから

雄島(おじま)を詠んだ歌 
甲斐守 明茂朝臣()
・説明:
仙洞歌合
 月をさへ  雄島の海人の  苫屋にや  心ありあけに   千鳥なくらん
 つきをさへ おじまの海人の とまやにや こころありあけに ちどりなくらん
 歌意:月までもいとおしく思われる、雄島の海人の苫屋であるからだろうか。風流を解する心ありげに有明の月に千鳥が鳴いている


 雄島(おじま)を詠んだ歌
源 実朝(みなもとの さねとも)
・説明:1192−1219年 鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍
    征夷大将軍源頼朝の二男。母は北条政子

続後撰・金槐集
 うきなみの 雄島の海人の  濡れ衣  濡るとな言ひそ 朽ちは果つとも
 うきなみの おじまのあまの ぬれぎぬ ぬるとないひそ くちはつとも  
 歌意:海面の浮き波は、雄島の漁夫の衣を濡らす。だがそのように私も泣き濡れているなどとは言わないでほしい。たとえ恋焦がれて死のうとも


 雄島(おじま)を詠んだ歌
加舎 白雄(かや しらお)
・説明:1738−1791年 54歳没 江戸深川上田藩屋敷で生まれる 江戸中期の俳人
 与謝蕪村などと共に中興五傑のひとり 本名 吉春、別号 昨烏、白尾坊、春秋庵
・1773年 松島を訪れて詠んだ
       いさよふや しらず雄島の  雨の月
       いさよふや しらずおじまの あめのつき
 句意:


雄島(おじま)を詠んだ歌 
和知 風光(わち ふうこう)
・説明:1701−1755年 55歳没 白河の俳人 別名:夕顔庵、巽々坊
 江戸のほか白河・盛岡・秋田など奥羽各地に門弟
1751年 雄島を訪れて詠んだ
       何ン人の  おちまに住や  落葉庵
       なんびとの おちまにすみや おちばあん
 句意: