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福島県 会津若松市飯盛山
・場所:福島県会津若松市一箕町 Yahoo地図 

飯沼 貞雄(貞吉)(いいぬま さだお)
・説明:1854-1931年 白虎隊士自刃者唯一の蘇生者
    年齢15を16歳と偽って白虎隊に参加し、飯盛山で他の十九士と共に自刃に及んだが、
    死に切れず命を救われた。
    明治維新後は貞雄と改名し、逓信省の通信技師として各地に勤務し、日清戦争にも従軍
    1924年(大正13年)皇太子(昭和天皇)と妃殿下に会った飯沼貞雄が感激して詠んだ歌
・仙台との関わり:1910年に仙台逓信管理局工務部長に就任、日本の電信電話の発展に貢献
 退職後仙台市青葉区錦町で死亡、「蘇生白虎隊士飯沼貞吉終焉之地」碑がある。墓は輪王寺
日の御子の 御影仰ぎて若桜 散りてののちも 春を知るらむ
・歌意:白虎隊士の墓を親拝された日の御子(皇太子殿下)のお姿を仰いで、まだ若桜だった白虎隊士は、桜の花が散る如く散華した後であっても、やっと春を知ったであろう
 1957年(昭和32年)建立
2012.3.30


 


 松平 容保(まつだいら かたもり)
・説明:1835-1893年 岐阜県高須藩松平義建の子
 会津藩主松平容敬の養子となり 会津九代藩主
 
 幾人の   涙は石に    そそぐとも その名は世々に 朽じとぞ思う
 いくたりの なみだはいしに そそぐとも そのなはよよに くちじとぞおもう
 歌意:
 松平容保が戊辰戦役当時自刃した白虎隊士の殉難忠節に対し弔歌を詠まれたのを八田吉宗氏がこの碑に刻み建てた
2012.3.30




 

白虎隊殉難詩碑
 千代までと そだてし親の  こころさへ 推しはかられて ぬるる袖かな
 ちよまでと そだてしおやの こころさへ おしはかられて ぬるるそでかな
・歌意:
 詠んだ時期・場所:紀州邸に幽閉されていた頃(明治2年~4年)白虎隊自刃の絵を見て
 碑の詞書
 たたかひ今を限り とや思ひけん十あまり五たりの男の子ども
 飯盛山にて腹きりて 死したりけるをうつし画に
 せしを見てあはれさのあまりに
 詩意:
 1914年(大正3年) 馬嶋 彰 建立
2012.3.30




幕府遺臣 本多晋

 :
 1914年(大正3年) 村井恒三郎 建立
2012.3.30


 


島田 磐也(しまだ きんや)
・説明:1909-1978年 熊本市生まれ 作詞家 西條八十の門下に入る。
    作詞家のサトウ・ハチローとは兄弟弟子
    古賀 政男 作曲 (コロンビアレコード 霧島 昇唄)
白虎隊(びゃっこたい) 
一 戦雲晦く   陽は落ちて 孤城に月の   影悲し
  せんうんくらく ひはおちて  こじょうにつきの かげかなし

  誰が吹く笛か 識らねども 今宵名残の  白虎隊
  たがふくうえか  しらねども   こよいなごりの びゃっこたい

二 紅顔可憐の   少年が   死をもて守る この保塞
  こうがんかれんの  しょうねんが しをもてまもる  このとりで

  滝沢村の   血の雨に 濡らす白刃も 白虎隊
  たきざわむらの ちのあめに ぬらすしらはも びゃっこたい

(詩吟)
 南鶴が城を望めば    砲煙あがる  痛哭涙を飲んで且彷徨す
 みなみつるがじょうのぞめば ほうえんあがる つうこくなみだをのんでかつほうこうす

 宗社亡びぬ   我が事おわる 十有九人     屠腹して僵る
 そうしゃほろびぬ わがことおわる  じゅうゆうきゅうし とふくしてたおる

三 飯盛山の  山頂に 秋吹く風は  寒けれど忠烈今も
   いいもりやまの いただきに あきふくかぜは さむけれど ちゅうれついまも

  香に残す 花も会津の  白虎隊
   かにのこす はなもあいづの びゃっこたい

 昭和46年 建立
2012.3.30




佐原 盛純(さわら もりずみ) 
・説明:1835-1908年 74歳没 会津若松市生まれ 漢学者 明治時代の役人、教師 
白虎隊詩
 小 年 団 結 白 虎 隊      国 歩 艱 難 戍 堡 塞
  しょうねんだんけつす びゃっこのたい     こくふ かんなん ほうさいをまもる

 大 軍 突 如 風 雨 来      殺 気 惨 憺 白 日 晦
 たいぐんとつじょとしてふううきたる      さっき さんたん はくじつ くらし

 へ い 鼓 喧 震 百 雷      巨 砲 連 発 僵 屍 堆
 へいこ けんてん ひゃくらい ふるう     きょほうれんぱつ きょうし うずたかし

 殊 死 衝 陣 怒 髪 竪      縦 横 奮 撃 一 面 開
 しゅし じんをついて どはつ たつ      じゅうおう ふんげき いちめんひらく

 時 不 利 兮 戦 且 卻      身 裏 創 痍 口 含 薬
 ときにりあらずたたかいかつしりぞく      みにはそういをつつみくちにくすりをふくむ

 腹 背 皆 敵 将 安 之      杖 剣 間 行 擧 丘 愕
 ふくはいはみなてきなりはたいずくにかゆかん  けんをつえついてかんこうきゅうがくをよず

 南  望  鶴  城  烟      痛 哭 呑 涙 且 彷 徨
 みなみつるがじょうをのぞめばえんえんあがる  つうこくなみだをのんでかつさまよう

 社 稷 亡 矣 可 以 巳       十 有 九 士 屠 腹 死
 しゃしょく ほろびぬ もってやむべしと     じゅうゆうきゅうしはらをほふってしす

 俯 仰 此 事 十 七 年       畫 之 文 之 世 稍 伝
 ふぎょうすれぱこのことじゅうななとせ   これをえにしこれをふみにしてよようやくつとう

 忠 烈 赫 赫 如 前 日      圧 倒 田 横 麾 下 賢
 ちゅうれつはかっかくとしてぜんじつのごとし  あっとうすでんおうきかのけん

 年 建立
2012.3.30




 


  
青年志死・・・ 
・詩意:
 年 建立
2012.3.30


 


白虎隊乃墓・・・
 
大君の・・・・    松・・・
 句意:
 年 建立
 2012.3.30




茶筅(ちゅせん)塚歌碑
・説明:山口儀平翁は明治26年時会津第一の学者であった宮城盛至翁と計られて飯盛山に花塚・水塚・茶筌塚を建立
・茶筅(ちゃせん):湯を加えた抹茶を茶碗の中でかき回して均一に分散させるための道具
 
 歌意:
 1893年(明治26年) 建立
2012.3.30



 
水塚歌碑
・説明:山口儀平翁は明治26年時会津第一の学者であった宮城盛至翁と計られて飯盛山に花塚・水塚・茶筌塚を建立 
 
 歌意:
 1893年(明治26年)
2012.3.30


 


花塚歌碑
 花という  花をあつめて  この塚の  いしもさこそは 世にかおりらめ
 はなという はなをあつめて このつかの いしもさこそは よにかおりらめ
 歌意:
 1893年(明治26年) 
 山口儀平翁は明治26年会津第一の学者であった宮城盛至翁と計られて飯盛山に花塚・水塚・茶筌塚を建立
2012.3.30


 


落合 水尾(おちあい すいび)
・説明:   -年 埼玉県生まれ 
激水は 白虎のごとし 山の春
 句意:
 年建立
2012.3.30



 
成瀬 櫻桃子(なるせ おうとうし)
・説明:昭和~平成時代の俳人。岐阜県出身 本名:成瀬冨造
天高し ピサの斜塔と さざえ堂
 句意:
 平成10年 建立
2012.3.30



 

神・・  の事  道
 句意:
  建立
2012.3.30



 
弁天
2012.3.30



星暁村彰恩歌碑