山形県の句碑・歌碑・詩碑
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新庄市/本合海(もとあいかい)
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八向公園(やむきこうえん)
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・場所:山形県新庄市本合海 八向公園 Yahoo!地図 |
八向公園からの眺望 本合海大橋 2013.5.23

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八向公園(やむきこうえん) |
・場所:山形県新庄市本合海 八向公園 Yahoo!地図 |
齋藤 茂吉(さいとう もきち)
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・説明:山形県上山市生まれ。1882−1953年 71歳没 医学と歌人として活動
山形の人々と山河を愛し、父と母を愛し続けた歌人 |
最上川 いまだ濁りて ながれたり 本合海に 舟帆をあげつ
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歌意:
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2000年(平成12年)建立
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2013.5.23

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記念碑 俳聖松尾芭蕉翁乗船之地
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・場所:山形県新庄市本合海 Yahoo!地図 |
・説明:芭蕉と曽良は1689年(元禄2年)、本合海から舟に乗り、最上川を清川まで下った
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松尾芭蕉・曽良像
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・説明:「奥の細道紀行」300年を記念して、江戸時代から伝わる新庄の窯元・弥瓶窯で焼いた東山焼きの芭蕉と曽良の陶像が建っている。
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2013.5.23

2013.5.23

2013.5.23

松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
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・説明:1644−1694年 51歳没 三重県伊賀市出身 本名:松尾宗房(むねふさ)
江戸時代前期の日本史上最高の俳諧師の一人 |
五月雨を あつめて早し 最上川
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さみだれを あつめてはやし もがみがわ |
・句意:降り続く五月雨(梅雨の雨)を一つに集めたように、何とまあ最上川の流れの早くすさまじいことよ。
・詠んだ時期・場所:1689年 「奥の細道」
山形県大石田の船宿経営高野平左衛門(一栄)方にて行われた句会の冒頭の発句 |
年 建立
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2013.5.23

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積雲寺(せきうんじ)
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・場所:山形県新庄市本合海94 Yahoo!地図 |
正岡 子規(まさおか しき)
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・説明:1893年(明治26年)に、松尾芭蕉の足跡を訪ねる旅に出て、同年8月に本合海(新庄市)に到着し、その際にこの歌を詠んだ |
草枕 夢路かさねて 最上川 行くへも知らず 秋立ちにけり
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歌意:
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年 建立
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2013.5.23

2013.5.23

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本合海最上川河川敷 |
・場所:山形県新庄市本合海 最上川河川敷 Yahoo!地図
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金子 兜太(かねこ とうた)・金子 皆子夫妻の句碑
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金子 兜太(かねこ とうた)
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・説明1919年− 埼玉県生まれ 俳人 東京帝国大学経済学部卒業 加藤楸邨(しゅうそん)に師事 日本銀行に入行 父は俳人金子伊昔紅(いせきこう)
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郭公の 声降りやまぬ 地蔵渦
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句意:
郭公:かっこう
地蔵渦:積雲寺本尊の地蔵菩薩が最上川の淵から漁師の網にかかって引き上げられた。
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年 本合海エコロジー 建立
テレビの俳句紀行番組の収録で1994年に本合海を訪れた。
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川向は八向楯(やむきだて) 2013.5.23

2013.5.23


金子 皆子
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ひぐらしの 網かぶりたり 矢向楯
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句意:
矢向楯:八向楯 |
2013.5.23

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本合海七所明神の隣
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黛まどか句碑・義経・弁慶上陸の地記念碑、地元の俳人高橋雄悦句碑
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本合海七所明神の隣 |
・場所:山形県新庄市本合海 Yahoo地図 |
黛 まどか(まゆずみ まどか)
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・説明:1962− 神奈川県生まれ 現代俳句を代表する女流俳人の一人 |
草の香に 一舟もやふ 最上川
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句意: |
2006年(平成18年) 建立 自筆
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本合海七所明神の隣 |
・場所:山形県新庄市本合海 Yahoo地図 |
高橋 雄悦(たかはし ゆうえつ) |
・説明:− 新庄市住吉町 菓匠たかはしの旧店主 |
でで虫や 万の渦呑む 最上川
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句意:
でで虫:かたつむり 季語:夏
NHK山形主催の最上川俳句コンクール受賞の句
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年 建立
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二宮八幡宮 |
・場所:新庄市本合海七所明神 Yahoo地図 |
澁谷 道(しぶや みち)
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・説明:松尾芭蕉を自宅に2泊させ接待した渋谷盛信の子孫
1926年− 京都府生まれ 平畑静塔に師事・橋關ホに連句を学ぶ |
霧こむる うねり雄々しき 本合海(もとあいかい)
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句意:
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年 建立
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鳥川〜本合海を詠んだ歌人
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正岡 子規(まさおかしき)
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・説明:1867―1902年 松山市新玉町生まれ、日本新聞社、俳誌「ホトトギス」によって写生による新しい俳句を指導、写生文による文章革新を試みるなど、近代文学史上に大きな足跡を残した。
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大石田より船に乗ったのは1893年(明治26年)8月8日の早朝 船は2時頃に本合海の渡船場に着いた。
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はて知らずの記
客の乗った船を、少女の乗った小舟が追いかけ、餅を売る。歌など歌いながら売り尽くすまで離れない。最上の少女の、なんとけなげなことよ。
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舟引きの 背丈短し 女郎花(おみなえし)
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句意:
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蜻蛉(かげろう)や 追ひつかむる 下り船
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句意:
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幸田露伴と大橋乙羽
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・本合海に宿をとった、1897年(明治30年)10月19日
古口といふところより夜に入りて、ぬぱ玉まの闇のあやなきに最上川の渡頭を渡り、本合海の宿に一夜の枕を定む。寂びたる間の宿にして旅舎も清げならず、我等を請じ入れたる一室の中には斑狗(ぶちいぬ)の皮を敷き満てたるなど、款待(もてし)ごゝろにはあるべけれど却つてあさましう見えぬ。
20日、本合海を立ちて船形を過ぎ、猿羽根峠の眺望を賞して尾花沢に至る。こゝより道路はいとたいらに、車の走りわづらふところも無し。最上川は路よりはるか西の方に在るなるべし。楯岡天童を経て山形の町に入るに、町は細く長くして思ひのほかに賑はし。酒田より此方は一向に帰りを急ぎて心あわだたしう人力車を走らせつれば興いと薄きに、土地もまた人の眼を惹くに足るもの無きところなれば筆にすべきことだに無し。
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阿部 治郎
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・1898年(明治31〜32年)山形旧制中学校の時山形から松山町へ帰省する際、本合海から乗船した。
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