勿来町の句碑・歌碑
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勿来関(なこそのせき)は、古代から歌枕となっている関の1つ。江戸時代の終わり頃からは「奥州三関」の1つに数えられている。 |
勿来の関北口
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・場所:福島県いわき市勿来町関田 Yahoo!地図
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山口 茂吉(やまぐち もきち)
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・説明:1902-1958年 56歳没 兵庫県多可町加美区清水生まれ 中央大学卒 歌人
斉藤茂吉の高弟 斎藤茂吉の助手をつとめて「アララギの小茂吉」とよばれた
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杉の木を 見つゝ思へり 風やみし かゝるいとまを 杉ふとるらむ
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意:
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1983年(昭和58年) 雫石太郎 等 建立
1945年(昭和20年) 山口茂吉の故郷兵庫県の杉の木を詠んだ歌
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勿来の関公園「詩歌の古道」
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・場所:福島県いわき市勿来町関田長沢6-1 Yahoo!地図
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2
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源 義家(みなもとの よしいえ)
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・説明:1039-1106年 大阪府生まれ 平安時代後期の武将
別名:八幡太郎(はちまんたろう)
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吹く風を なこその関と おもへとも 道もせに散る やま桜かな
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歌意:花を散らし吹く風は「来るな」という勿来関には来ないと思っていたが、道いっぱいに散る
山桜だなあ
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1851年(嘉永4年) 建立
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3
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斎藤 茂吉(さいとう もきち)
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・説明:1882-1953年 71歳没 医学と歌人として活動山形の人々と山河を愛し、父と母を愛し続けた歌人
山形県上山市金瓶の農家、守谷伝右衛門家で生まれ、14歳までの少年時代を過ごした。
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みちのくの 勿来へ入らむ 山がひに 梅干ふくむ あれとあがつま
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歌意:陸奥の勿来の関に行く山間の道で梅干を口に含む私と私の妻
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1967(昭和42年) 斎藤茂吉歌碑建設委員会 建立
1915年8月(大正4年) 結婚した翌年に輝子夫人と勿来を訪れたとき詠んだ歌
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2025.6.6

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4
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永野 修身(ながの おさみ)
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・説明:1880-1947年 高知県生まれ 海軍大将
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山桜 われも日本の 武士にして
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1943年(昭和18年) 勿来の関で詠んだ句
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1936年(昭和11年) 建立
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裏
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植松 練磨(うえまつ れんま)
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・説明:1883-1946年 鹿島町生まれ 海軍少将 衆議院議員
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俤(おもかげ)を 残すや関の 山桜
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句意: |
碑を建立したときに詠んだ句
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5
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・場所:福島県いわき市勿来町関田長沢6-1 Yahoo!地図
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海上 比佐子(うなかみ ひさこ)
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・説明:
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桜木の 石にもなりて くちぬなを 関のこなたに とどめけるかも
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歌意:桜の木の化石になっても、その名は廃れることなくここ勿来関にとどめることだ
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1987年(昭和62年) 建立
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6
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飛鳥井 雅宣(あすかい まさつら)
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・説明:不詳-1651年 江戸前期の公卿・歌人・蹴鞠家
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九浦や 潮満ちくれば 道もなし ここを勿来の 関といふらむ
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歌意:九浦は、満潮になると道がなくなってしまう。道を通させないここを勿来関というのだろう
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1987年(昭和62年) 建立
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同じ歌を詠んだ碑が遠野町上野小学校にある。
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7 勿来関冠題詩碑
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小柳道義撰文 勿来関冠題詩碑
尋東北名所到勿来関
常磐両国境山逕万條煙
磐 古奥州遠隔地勢偏
国賊抗王師前後十二年
境辺奮猛威義家討夷還
勿来暮春桜落花御風旋
来駐詠国歌英雄花中仙
関跡騒客多八百星霜遷
懐旧念連起低回暫不竣
古碑誌顛末永久頌声伝
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意:
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年(年)建立
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8
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室 桜関(むろ おうかん)
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・説明:1818-1885年 68歳没 いわき市平生まれ 儒者
江戸で古賀侗庵(どうあん)、藤森弘庵(こうあん)らに学び平藩につかえて藩校教授となった
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桜関老人 室桜関詩
憶昔陸奥垠 王化全不均 長蛇与封家 猖?事噬呑 天詔一朝下 源家出此人
東征千里外 前後十三年 草木漸靡服 率土知王民 山海改景象 不復起妖気
当年西遷路 経過勿来関 東風度蒼海 桜花翻媚春 壮懐引騒或 銀鞍勅不?
好将叱咤舌 吟咏吐瓊? 雄風与雅藻 触発自爛然 千載事唯逝 古関跡尚存
流風及今日 口碑可微真 請看蒭達者 尚唱山桜篇
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意:
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1915年(大正4年) 仲春 建立
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源 師賢(みなもとの もろかた)
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・説明:1035-1081年 平安時代の官吏 歌人
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東路は なこその関も あるものを いかでか春の 超えて来つらん
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歌意:春は東から来るという、東路には「来るな」という勿来関がある、春はどうやって来るのか
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1987年(昭和62年) 建立
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和泉 式部(いずみ しきぶ)
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・説明:974・976-生没年不詳 父は越前守大江雅致(まさむね)、母は越中守平保衡(たいらのやすひら)女 中古三十六歌仙の一人 王朝時代随一の女流歌人
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名古曽とは 誰かは云ひし いはねども 心に据うる 関とこそみれ
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歌意:来ないでなんて誰が言った。誰も言っていない。あなたが勿来関みたいな心の隔てを作り、会いに来ないだけでしょう。
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1987年(昭和62年) 建立
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