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十和田市

十和田荘
・場所:青森県十和田市奥瀬休屋16 Yahoo地図 
石川 啄木(いしかわ たくぼく)
・説明:1886〜1912年 26歳             
    本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ 歌人、詩人、評論家
 夕雲に 丹摺はあせぬ 湖ちかき 草舎くさはら 人しづかなり
 歌意:
 丹摺:(にずり):その物語の想う人の戸口にたてかけた錦木の紅い塗り色のことです。
 1973年(昭和48年) 建立
 この歌は白蘋の名で盛岡中学校校友会雑誌(明治35年3月号)に掲載 
2014.7.21


2014.7.21


 明治34年7月、石川啄木が中学4年生の時、学友とともに十和田湖に遊ぶ途中(※)、毛馬内の錦木塚の悲恋の伝説を取材し、薫り高い詩歌を残しました。碑の歌の丹摺はその物語の、想うひとの戸口にたてかけた錦木の赤い塗り色のことです。
 (※)秋田県鹿角地方も旅行した。
2014.7.21


2014.7.21



十和田湖畔 裸像のそば
・場所:青森県十和田市奥瀬休屋 Yahoo地図 
高村 光太郎(たかむら こうたろう)
・説明:1883−1956年 東京生まれ  詩人、彫刻家 本名:光太郎(みつたろう)
 1945年空襲で東京の自宅とアトリエを焼失し、宮沢賢治の縁で花巻に疎開。
 敗戦後は1952年まで、雪深い花巻郊外(当時太田村山口)に住んだ
 
           「十和田湖畔の裸像に与ふ」
 銅とスズとの合金が立ってゐる。
 どんな造型が行はれようと無機質の図形にはちがひがない。
 はらわたや粘液や脂や汗や生きもののきたならしさはここにない。
 すさまじい十和田湖の円錐空間にはまりこんで
 天然四元の平手打をまともにうける
 銅とスズとの合金で出来た 女の裸像が二人 影と形のやうに立ってゐる。
 いさぎよい非情の金属が青くさびて 地上に割れてくづれるまで
 この原始林の圧力に堪へて 立つなら幾千年でも黙って立ってろ。
 詞意:
 1953年(昭和28年) 建立 
2014.7.21


2014.7.21

 

 

宇樽部十和田湖湖畔
・場所:青森県十和田市宇樽部 十和田湖湖畔
大町 桂月(おおまち けいげつ)
・説明:1869−1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
 十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。
 
三浦泉八開拓記念碑 大町桂月先生讃
道太郎の父泉八氏は、明治十六七年の頃、
はじめて五戸より道路を開き、
船を造りて、小坂鉱山の貨物運搬を請負ひ、
宇樽部を開墾せる人也
 (昭和37年)建立