| 秋田県の句碑・歌碑・詩碑 |
横手市
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| 横手公園 |
| ・場所:秋田県横手市城山町4 |
石坂 洋二郎(いしざか ようじろう)
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・説明:1900−1986年 86歳没 弘前市代官町生まれ 小説家
弘前高等学校卒 慶應義塾大学文学部卒 青森県・秋田県で教職時代に「若い人」「麦死なず」で文壇にみとめられる。
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小さな完成よりも あなたの孕(はら)んでいる
未完成の方がはるかに大きいものである
ことを忘れてはならないと思う「若い人」
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| 詩意: |
| 1976年(昭和51年)建立 |
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深井八幡神社
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・場所:秋田県横手市雄物川町深井深井105
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荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい)
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・説明:1884−1976年 東京生まれ 自由律の俳人 種田山頭火、尾崎放哉の師匠
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田うえの足を 洗う水も 田にゆく水
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| 句意: |
| 1954年(昭和29年) 建立 |
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館合小学校(たてあい)
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・場所:秋田県横手市雄物川町薄井字下小出70
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楠 正一(くすのき まさかず)
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・説明:1882−1945年 旧制一高の寮歌「あゝ玉杯に花うけて」の作曲者
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「嗚呼玉杯に花うけて」の楽譜碑
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| 意: |
| 年 建立 |
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| 真人(まと)公園 |
・場所:秋田県横手市増田町増田真人山下 芝生広場
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サトウ ハチロウ
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・説明:1903−1973年 東京生まれ 詩人、作詞家、作家 本名:佐藤八郎
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「リンゴの唄」
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| 「リンゴの唄」は、1945年の日本の楽曲。並木路子、霧島昇によって発売され、日本の戦後のヒット曲第1号となった楽曲。作詞はサトウハチロー、作曲は万城目正 |
| 年 建立 |
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正伝寺(しょうでんじ)
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・場所:秋田県横手市大屋新町鬼嵐117
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高浜 年尾(たかはま としお)
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・説明:1900−1979年 78歳没 東京都生まれ 高浜虚子の長男 俳人
小樽商大卒 父より俳句雑誌「ホトトギス」をひきついだ
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そゞろ来て 夜の梅林を 抜けんとす
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| 句意: |
| 年 建立 |
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金沢公園 本丸跡
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・場所:秋田市横手市城山町2
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石井 露月(いしい ろげつ)
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・説明:1873−1928年 56歳没 秋田県雄和町生れ 俳人 正岡子規に師事し,新聞「日本」の記者となる。のち医師試験に合格し,秋田で開業
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城址の 近きに家す 青簾(あおすだれ)
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| 句意:青簾:夏を代表する季語 |
年 建立
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神明社 前
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・場所:秋田市横手市明神町7−2 Yahoo地図
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松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
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・説明:1644−1694年 51歳没 三重県伊賀市出身 本名:松尾宗房(むねふさ)
江戸時代前期の日本史上最高の俳諧師の一人 俳号:桃青(とうせい)
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草臥れて 宿かる頃や 藤の花
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・句意:一日の旅に疲れて旅籠を求める黄昏。晩春の暮色の中に淡い紫の藤の花がおぼつかなく咲き垂れて、そこはかとない旅愁と春愁を誘う。
・詠んだ時期・場所:1688年4月11日、「笈の小文」の道中大和八木
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| 1793年(寛政5年) 建立 再建1988年(昭和63年) |
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朝舞 八幡神社
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・場所:秋田県横手市鹿町朝舞字上蒋沼127
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| 後藤 逸女(ごとう いつじょ) |
・説明:1814−1883年 70歳没 湯沢市生まれ 女流歌人 本名:逸(いつ)
農耕の傍ら歌作に励み歌稿歌集を多く残す。農業指導者石川理紀之助の師 |
| 行幸あら婆 ま多も能本ら舞 堂久飛奈幾 いさ遠に可ゝ流 天能か希者し |
| みゆきあらば またものほらむ たくひなき いさをにかかる あまのかけはし |
歌意:行幸(みゆき):天皇陛下が外出されること。
行幸があったならば、地域の功労者を顕彰する石碑が建てられている場所に懸っている
橋を渡って遥拝殿に詣でよう |
| 年(昭和) 伊勢多右衛門胤守 建立 |
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