象潟を詠んだ歌
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能因 法師(のういん ほうし)
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・説明:998−?年 平安時代の歌人 26歳の時出家し、摂津国に住む。奥州・伊予・美作などを旅した。
俗名:橘永ト(ながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称
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後拾遺和歌集
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世の中は かくても経けり きさかたの あまの苫屋を わが宿にして
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| 歌意: |
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西行 法師(さいぎょう ほうし)
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・説明:1118−1190年 和歌山県那賀郡打田町生まれ
本名:佐藤義清(のりきよ)生命を深く見つめ、花や月をこよなく愛した平安末期の大歌人
宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ。
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きさかたの 桜は浪に うづもれて 花の上こぐ あまのつり舟
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| 歌意: |
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北条 時頼(ほうじょう ときより)
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・説明:1227−1263年 36歳 父は北条時氏 五代鎌倉幕府執権
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命あらば またも来て見ん 象潟の 心とどめし 松のみどりに
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| 歌意: |
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河合 曾良(かわい そら)
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・説明:1649−1710年 長野県諏訪市生まれ 俳諧師
芭蕉の奥の細道に同行した弟子 蕉門十哲
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おくの細道
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象潟や 料理何くう 神祭
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| 句意: |
浪こえぬ 契りありてや みさごの巣
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| 意: |
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平賀 源内(ひらが げんない)
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・説明:1728−1779年 博物学者・作家・画家・陶芸家・発明家。あらゆる分野に才能を発揮した日本のダ・ビンチ
1773年に象潟へ
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旅客集
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象潟や 雨二ふられて ねぶり宿
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| 句意: |
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小林 一茶(こばやし いっさ)
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・説明:1763−1828年 長野県生まれ 江戸時代を代表する俳諧師の一人
本名を小林弥太郎 別号は?橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など
1789年に象潟へ
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旅客集
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| 象潟や 嶋がくれ行 刈り穂船 |
句意:
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| 象潟や 朝日ながらの 秋の暮れ |
句意:
1789年象潟を訪れた。 |
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菅江 真澄(すがえ ますみ)
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・説明:1754−1829年 愛知県豊橋生まれ
江戸時代後期の紀行家・民俗学者
30歳で旅立ち、長野から新潟、山形、秋田、青森、北海道、岩手、宮城、福島を巡り、
48歳で再び秋田に入り、仙北郡の地で亡くなるまで延べ29年間を秋田で過ごした。 |
秋田のかりね
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なみ遠く うかれてここに きさかたや かつ袖ぬるる 夕ぐれの空
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| 歌意: |
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河東 碧梧桐(かわひがし へきごとう)
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・説明:1873−1937年 愛媛県生まれ 俳人・随筆家。本名は秉五郎(へいごろう)
少年の頃は正岡子規の友人 |
三千里
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百合の山路 超え来て合歓の 花の里
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| 句意: |
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田山 花袋(たやま かたい)
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・説明:1871−1930年 群馬県館林に生まれ 小説家
明治40年、「蒲団」を発表、文壇に大きな反響を残し、島崎藤村の「破戒」とともに自然主義文学の代表作になった。
母親が天童市南部の高擶(たかだま)出身。花袋も高擶を訪れ、月山の眺めなどを書き記す
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羽後の海岸
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怨むことがことき幽艶にして清趣に富める一場の嵐
景は忽然としてこの世のものにはあらずなりぬ。
されど其の島の址、其の寺の址を思ふに、この潟の
美は盖(けだ)し鳥海山一帯の翠微(すいび)にありたるなるべし。
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司馬 遼太郎(しば りょうたろう)
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街道をゆく
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それにしても、タテ・ヨコ一里の入江にたくさんの島が浮かんでいたというのは奇勝だったにちがいない。
それがいま大地が盛りあがって、田園のなかに散在している。
これも妙趣というほかない。
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