| 秋田県の句碑・歌碑・詩碑 |
能代市
|
| 石井 露月(いしい ろげつ) |
| ・説明:1873−1928年 56歳没 秋田県雄和町生れ 俳人 正岡子規に師事し,新聞「日本」の記者となる。のち医師試験に合格し,秋田で開業 |
春を惜め 同じ流れの 季吟門
|
| 句意: |
| 1977年(昭和52年) 建立 |
|
| 句標 |
露月 山人(ろげつ )/石井 露月
|
・説明:1873−1928年 56歳没 秋田県雄和町生まれ 本名:祐治 俳人 正岡子規に師事し四天王の一人,新聞「日本」の記者となる。のち医師試験に合格し,秋田で開業
|
| 春を惜め 同じ流れの 季吟門 |
| 句意: |
| 2002年(平成14年) 晩年、芭蕉の境涯に達した俳人 露月生誕130年記念 建立 |
|
高浜 虚子(たかはま きょし)
|
・説明:1874−1959年 愛媛県松山市生まれ 明治から昭和の俳人、小説家
本名:清 虚子号は本名をもじって正岡子規によりつけられた
京都の旧制第三高等学校入学、碧梧桐も後れて入学同居し俳友とも交わった。
学制改革でともに仙台の二高に移ったが、文学への念強く1894年そろって退学上京
1898(明治31年)松山から発行されていた「ホトトギス」を引き継いで東京から編集発行し、俳句とともに写生文や小説を掲載、明治38年からは夏目漱石の「吾輩は猫である」「坊つちやん」などの掲載で誌名を高めた。 |
|
| 句意: |
| 1977年(昭和52年) 京病長・ホトトギス同人京五紅。後援能代山本ホトトギス会 建立 |
|
高浜 年尾(たかはま としお)
|
・説明:1900−1979年 78歳没 東京都生まれ 高浜虚子の長男 俳人
小樽商大卒 父より俳句雑誌「ホトトギス」をひきついだ
|
締切の 雨戸に窓や 雪籠
|
| 句意: |
| 1977年(昭和52年) 京病長・ホトトギス同人京五紅。後援能代山本ホトトギス会 建立 |
|
渟城 桂葉(ぬしろ けいよう)
|
・説明:1624−1706年 秋田俳壇の祖
|
黒きこと うる志の如し 五月雨
|
| 句意: |
| 年 建立 |
|
島田 五空(しまだ ごくう)
|
・説明:1875−1928年 53歳没 本名:長治郎 能代市生まれ 俳人 政治家
実業家(能代印刷、能代図書館、能代商報)創業 高浜虚子と親交 石井露月に指導を受けた。
|
表面:桂葉桜 側面:渟城毅書 枯蔦(かれつた)と 細り行く身や 風の音
|
| 句意: |
| 年 渟城毅(14代目) 建立 |
|
松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
|
・説明:1644−1694年 51歳没 三重県伊賀市出身 本名:松尾宗房(むねふさ)
江戸時代前期の日本史上最高の俳諧師の一人 俳号:桃青(とうせい)
|
くたびれて 宿かるころや 藤の花
|
・句意:一日の旅に疲れて旅籠を求める黄昏。晩春の暮色の中に淡い紫の藤の花がおぼつかなく咲き垂れて、そこはかとない旅愁と春愁を誘う。
・詠んだ時期・場所:1688年4月11日、「笈の小文」の道中大和八木
|
| 年 建立 |
|
|
| 能代港 はまなす公園 |
・場所:秋田県能代市能代港
|
勝田 香月(かつた こうげつ)
|
・説明:1899−1966年 67歳没 沼津市生まれ 詩人、政治家 日本大学中退
|
出船 作詞:勝田香月、作曲:杉山長谷夫
今宵出船か お名残り惜しや 暗い波間に 雪が散る
船は見えねど 別れの小唄に 沖じゃ千鳥も 鳴くぞいな
今鳴る汽笛は 出船の合図 無事で着いたら 便りをくりゃれ
暗いさみしい 灯影の下で 涙ながらに 読もうもの
|
| 詩意: |
| 年 能代木材産業連合会 建立 |
|
|
石川 貞直(いしかわ さだなお)/理紀之助(りきのすけ)
|
・説明:1845−1915年 71歳没 秋田市生まれの老農(篤農家) 農業技術指導者
後藤逸女から和歌を手引きされる
|
声・むつましく 親子はらから 打つとひ 笑ふにまさる よろこびなかりけり
|
| 歌意: |
| 1918年(大正7年) 能代敷島会 建立 |
|
高階 梅子(たかしな うめこ)
|
・説明:1896−年 北秋田市生まれ 婦人活動家
|
日本海の 潮鳴たえぬ 砂丘に とほしく咲きて 紅きはまなす
|
| 歌意: |
| 1974年(昭和49年) 能代短歌会 建立 |
景林神社の左手
|
島田 五空(しまだ ごくう)
|
・説明:1875−1928年 53歳没 本名:長治郎 能代市生まれ 俳人 政治家
実業家(能代印刷、能代図書館、能代商報)創業 高浜虚子と親交 石井露月に指導を受けた。
|
花をうつ 暁鳥の 翅(つばさ)かな
|
| 句意: |
| 1969年(昭和44年) 建立 |
|
石田 三千丈(いしだ さんぜんり)
|
・説明:1888年−1974年 増田町生まれ 俳人、医師。本名:春輝 石井露月に師事
島田五空、岩動炎天、小笠原洋々と続いた「俳星」を受け継ぐ
|
秋天や あきつの羽に ある韻(ひび)き
|
| 句意: |
| 年昭和45年 建立 |
|
石井 露月(いしい ろげつ)
|
・説明:1873−1928年 56歳没 秋田県雄和町生まれ 本名:祐治 俳人 正岡子規に師事し四天王の一人,新聞「日本」の記者となる。のち医師試験に合格し,秋田で開業
|
材木や 米代川の 秋の風
|
| 句意: |
| 年(昭和52年) 建立 |
|
|
能代公園 俳星碑
|
| ・場所:秋田県能代市清助町 能代公園 |
石井 露月(いしい ろげつ)
|
・説明:1873−1928年 56歳没 秋田県雄和町生まれ 本名:祐治 俳人 正岡子規に師事し四天王の一人,新聞「日本」の記者となる。のち医師試験に合格し,秋田で開業
|
材木や 米代川の 秋の風
|
| 句意: |
|
| 佐々木 北涯(ささき ほくがい) |
・説明:1866−1918年 53歳没久米岡生まれ 本名:久之助 俳人 県会議員 正岡子規と交流
|
| 斯文 不亡蒼 天麗かに |
| このふみ ほろびずそう てんうららかに |
| 句意: |
|
島田 五空(しまだ ごくう)
|
・説明:1875−1928年 53歳没 本名:長治郎 能代市生まれ 俳人 政治家
実業家(能代印刷、能代図書館、能代商報)創業 高浜虚子と親交 石井露月に指導を受けた。
|
| 誰を得て 衣鉢(いはつ)伝へむ 寒稽古 |
|
| 赤木 格堂(あかぎ かくどう) |
| ・説明: |
| 鶺鴒(せきれい)や 天地開闢(てんちかいびゃく) よりの閑(かん) |
| 句意: |
|
| 岩動 炎天(いするぎ えんてん) |
| ・説明: |
| 鳥追や早(はや) 誰そかれの 袖の雪 |
| 句意: |
|
| 柴田 紫陽花(しばた しようか) |
| ・説明: |
| この道の 能代につづく 遅桜 |
| 句意: |
|
| 越前 北方(えちぜん ) |
| ・説明: |
| 秋風や 身は野ざらしの 五十年 |
| 句意: |
|
小笠原 洋々(おがさわら ようよう)
|
・説明:1880−1962年 二ツ井町生まれ 本名:栄治 北海道の日本海汽船重役
戦時中、二ツ井町に引揚げ、「白水会」を結成「俳星」の主幹つとめた
|
| 一望の 中に枯野の 大傾斜 |
| 句意: |
|
| 石田 三千丈(いしだ さんぜんり) |
・説明:1888年−1974年 増田町生まれ 俳人、医師。本名:春輝 石井露月に師事
島田五空、岩動炎天、小笠原洋々と続いた「俳星」を受け継ぐ |
| 詠みなやむ 連句の恋や 藤の雨 |
| 句意: |
| |
|
| 松田 撲工(まつだ ぼっこう) |
| ・説明: |
| 初鴉(はつがらす) 大方河を 渡りけり |
| 句意: |
|
| 平川 霞渓子(ひらかわ かけいし) |
| ・説明: |
| 燈下親し 音たてて来し 夜の雨 |
| 句意: |
|
| 岩見 汀波(いわみ ていは) |
| ・説明: |
| ぼんぼりの 灯の水色や かご枕 |
|
| 裏面の碑文 |
| 佐々木 左木(ささき ) |
| ・説明: |
| 秋草の なべて声あり 吾も行く |
| 句意: |
|
|
願勝寺(がんしょうじ)
|
| ・場所:秋田県能代市萩ノ台5−19 |
相沢 順通(あいざわ )
|
・説明:−年 歳
|
能代なる 御代にうまれし さちのみは 人におとらぬ わが身なりけり
|
| 句意: |
| 年 建立 |
|
松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
|
・説明:1644−1694年 51歳没 三重県伊賀市出身 本名:松尾宗房(むねふさ)
江戸時代前期の日本史上最高の俳諧師の一人 俳号:桃青(とうせい) |
しばらくは 花の上なる 月夜かな
|
・句意:満開の花上に月が上った。しばらくは月下の花見ができそうだ
・詠んだ時期・場所:1691年 吉野へ旅した時
|
| 1785年(天明5年) 来翁 建立 |
|
|
菅江 真澄(すがえ ますみ)
|
・説明:1754−1829年 76歳没 愛知県豊橋生まれ 江戸時代後期の紀行家・民俗学者
30歳で旅立ち、長野から新潟、山形、秋田、青森、北海道、岩手、宮城、福島を巡り、
48歳で再び秋田に入り、角館で亡くなるまで延べ29年間を秋田で過ごした。
|
たづねても 三輪の山 もとそれならで ここにいく世を 杉沢の碑
|
| 歌意: |
| 年 建立 |
|
村木 息長(むらき )
|
・説明:−年 歳 能代生れ 国学者
|
|
| 句意: |
| 年 建立 |
|
|
| |
・場所:秋田県能代市
|
|
・説明:−年 歳
|
|
| 意: |
| 年 建立 |
|
|
|