| 青森県の句碑・歌碑・詩碑・文学碑 |
大間町
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| 西吹付山山頂 |
・場所:青森県下北郡大間町大字大間字内山48-1 西吹付山山頂 Yahoo地図
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大町 桂月(おおまち けいげつ)
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・説明:1869−1925年 57歳没 高知市生まれ、「行雲流水」や「日本の山水」などを刊行、紀行文家として名声を獲得
十和田を広く世に紹介した人物、蔦温泉で晩年を過ごした。 |
| 紀行文 「 恐山半島の大断崖・大間崎 」 |
夜に入りて、漁火長く数里に続き、北海道と恐山半島との間に、一文字を成す。柔魚(いか)を釣る舟を浮かべる也。その柔魚(いか)は支那に輸出するなりとかや。
自動車は、大間に果てたり。村役所もあれば、宿場もあり。大間崎とて、平かなる陸嘴、草花を帯びて、長く延び、少し離れたる島に、燈台立てり。函館山近く数里の外に見ゆ。維新以前は、ここより函館に渡りしが、今は青森よりして、航路三倍も延びける也。 |
空と海の 間に長き 蝦夷が島 消えてかはりぬ 漁火の影
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歌意:
1922年(大正11年)9月に詠む
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| 1992年(平成4年) 建立 |
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| 大間海峡保養センター前 |
・場所:青森県下北郡大間町大間字内山48-1 大間温泉 海峡保養センター前 Yahoo地図
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吉村 昭(よしむら あきら)
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| ・説明:1927−2006年 79歳没 東京都日暮里生まれ 学習院大学中退 小説家 |
「魚影の群れ」(木碑)
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歌意:
厳しい北の海で小型船を操り、孤独で苛酷なマグロの一本釣りに生命を賭ける海の男達と、寡黙であるが情熱的な女達の世界を描く
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| 1983年(昭和58年) 建立 |
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大間崎
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| ・場所:青森県北郡大間町大間平 大間崎 Yahoo地図 |
石川 啄木(いしかわ たくぼく)
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・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ 滝沢村転居
渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係
歌人、詩人、評論家
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東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
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歌意:東海小島に小さな磯がある。その磯の中にある砂地に腰をおろして、私は泣きながら蟹とたわむれている。
東海:東の方の海のほかに、日本国の意味
函館市に移住し、その当時啄木が友人と訪れた函館の大森浜を念頭に置いて詠われたというのが定説らしい。
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2000年(平成12年)建立
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大間崎
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| ・場所:青森県北郡大間町大間平 大間崎 Yahoo地図 |
石川 啄木(いしかわ たくぼく)
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・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ 滝沢村転居
渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係
歌人、詩人、評論家
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大といふ 字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて 帰り来れり
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歌意:大きな人間になる、という少年時代からの大志を思い起こして、無量の砂の上に、大という字を百あまり書いてゆくと、いつのまにか自殺衝動が消えてしまった。そして家に帰ってきたのだった。
句碑 大間崎
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2000年(平成12年)建立
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大間崎
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| ・場所:青森県北郡大間町大間平 大間崎 |
石川 啄木(いしかわ たくぼく)
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・説明:1886〜1912年 26歳没 本名:一(はしめ) 岩手県盛岡市玉山生まれ 滝沢村転居
渋民村・函館で代用教員 函館、小樽、札幌、釧路で新聞社勤務 東京朝日新聞社校正係
歌人、詩人、評論家 |
大海に むかひて一人 七八日 泣きなむとすと 家を出でにき
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歌意:大海に向かって自分一人、七日も八日も思いっきり泣いてやろうと思って家を出たのだった。
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2000年(平成12年)建立
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大間崎
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| ・場所:大間町大間崎 |
寿山()
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| ・説明: |
| 英霊に捧ぐ 海を征き |
| 詩意: |
| 年(昭和52) 建立 |
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大間崎
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| ・場所:青森県下北郡大間町大間字大間平 |
作詞:瀧 竜二() 歌:天童よしみ
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| ・説明: |
みちのく慕情 壊れた船が
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| 詩意: |
1979年(昭和54年) 平成21年復刻 建立
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