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須賀川市の句碑・歌碑

旭ヶ岡公園・朝日稲荷神社
・場所:須賀川市稲荷町 朝日稲荷神社の南東  Yahoo地図
市原 多代女(いちはら たよじょ・たよめ) 
・説明:1776−1865年 90歳没 須賀川豪商市原家に生まれ 本名:多代女(たよめ)
 江戸時代の代表的名女流俳人

 俳諧を石井雨考に学ぶ。鈴木道彦に入門。松窓乙二に師事する。晴霞庵と称した
 松尾芭蕉を尊敬「奥の細道」で須賀川をおとずれた松尾芭蕉の句碑建立
花は目に 残りて耳に ほととぎす
 句意:
 年(年) 建立
 
 
 
旭ヶ岡公園・朝日稲荷神社
・場所:須賀川市稲荷町142 朝日稲荷神社 Yahoo地図
山辺 暁窓(やまのべ )
・説明:山辺清民の子 
大空や かけ離れたる 月の照
 句意:
 1903年(明治36年)  建立

 
旭ヶ岡公園・朝日稲荷神社
・場所:須賀川市稲荷町朝日稲荷神社 Yahoo地図 
山辺 清民(やまのべ せいみん)
・説明:1792−1867年 市原多代女に師事 
君見ませ 雨の田植の 裸か蓑(みの)
 句意:
 1896年(明治29年) 建立 揮毫:山辺 暁窓(山辺清民の息子)

 
旭ヶ岡公園・朝日稲荷神社
・場所:須賀川市稲荷町 朝日稲荷神社の東 Yahoo地図 
道山 壮山(みちやま そうざん) 
・説明:1833−1900年 
 通称三次郎、幼名は荘吉。市内中町で諸色問屋を営みながら俳諧を学ぶ。
 俳号は壮山、芳秋。
江戸後期の須賀川を代表する俳人・市原多代女や山辺清民の弟子
 可伸庵と名づけられた自邸には、正岡子規や河東碧梧桐なども訪れた。また、数々の名誉職を歴任し、県立須賀川病院や第百八国立銀行設立などに尽くした町の有力者でもあった。
海棠の 眠りをさます 桜かな
 句意:
 海棠(かいどう)(はなかいどう)
は、中国ではもっとも美しい花とされ、昔から「花の神様:花中の神仙」と呼ばれて、人々に愛されている。百花の王の牡丹と並んで美人のたとえ
 1903年(明治36年) 建立


旭ヶ岡公園 
・場所:須賀川市稲荷町 
二階堂 桃祖(にかいどう とうそ) 
・説明:   須賀川生まれ
 藤井晋流の門人。門下に石井雨考
 

 句意:
 年(年) 建立

 

旭ヶ岡公園 
・場所:須賀川市稲荷町 朝日稲荷神社駐車場
天野 景明先生() 
・説明:須賀川第一高等小学校校長

 句意:
 年(年) 建立

 

旭ヶ岡公園 
・場所:須賀川市稲荷町 池の東側
渡辺 文弥(わたなべぶんや)先生碑 
・説明:須賀川第一高等小学校校長

 句意:
 年(年) 建立

 

旭ヶ岡公園・朝日稲荷神社
・場所:福島県須賀川市稲荷町142 朝日稲荷神社 Yahoo地図
歌姫の歌碑
弘畝() 
・説明:昔、花かりゅうかい柳界(芸者の世界)で働く少女が、冬の厳しい寒さの中、古い松の木の前で歌の稽古をしていました。寒さと疲れで気を失ってしまいました。
 しばらくして気付くと、少女は美しいお姫様に抱き起されていました。そしてお姫様に「もう大丈夫、稽古を続けましょう」と言われたので声を出してみると、とてもきれいな声になっていました。
 この不思議な出来事は芸者の間で評判となり、お姫様を「歌姫さま」、古い松の木を「歌姫の松」と呼ぶようになったと言われています。
大君の 恵みの露に うるほひて 栄えゆくらん 歌姫の松
 句意:
 年(年) 建立