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紅蓮尼(こうれんに)
・説明: -1324年 77歳没 秋田県象潟町生まれ 鎌倉時代の女性
紅蓮尼和歌二首


 小太郎・紅蓮尼の比翼塚(ひよくつか)
・場所:宮城県宮城郡松島町松島  Yahoo!地図 
紅蓮尼(こうれんあま)
・説明:昔(1321年頃)、松島瑞巌寺近くに住む掃部という富豪が、伊勢参り途中で出羽国象潟の商人森隼人と親しくなった。別れ際、このまま別れてしまうには惜しく、親戚の関係を結びたいと、掃部の息子の小太郎と商人の娘の谷の婚約を整える。
 ところが、掃部が巡礼の旅から戻ると、小太郎はすでに病で亡くなっていた。それを知らない谷は花嫁姿で掃部のもとを訪れた。
 小太郎が亡くなっていることを知ると、「両親同士が許した以上夫婦であり、命が尽きるまで仏に仕え尽くしたい」と松島に残り、掃部夫妻に尽くした。
 数年後、掃部夫妻が相次いで亡くなると、冥福を祈るのが残されたものの務めと、名を紅蓮と改め尼となる。紅蓮は心月庵を開き、供えられた米で煎餅を焼いて村の人々に施した。これが「松島こうれん」と呼ばれ、現代まで伝えられている。
 亡き夫が植えた梅の木に向かって、梅の花を見る小太郎を思って悲しくなってしまうので詠んだ
移し植えし 花の主は はかなくに 軒端の梅は 咲かずともあれ
 と詠んだところ、翌年はもう花が咲きませんでした。しかし咲かなくなってしまうと、また寂しいので、今一度詠んだ
咲けかしな 今は主と ながむべし 軒端の梅の あらん限りは
 と詠んだところ、また香り高い花をつけるようになった。



比翼塚 (愛し合って死んだ男女を一緒に葬った塚)


小太郎が愛した梅の木 軒端(のきば)の梅




蚶満寺(かんまんじ)
・場所:秋田県にかほ市象潟町象潟島 Yahoo地図
紅蓮尼(こうれんあま)
・説明:昔(1321年頃)、松島瑞巌寺近くに住む掃部という富豪が、伊勢参り途中で出羽国象潟の商人森隼人と親しくなった。別れ際、このまま別れてしまうには惜しく、親戚の関係を結びたいと、掃部の息子の小太郎と商人の娘の谷の婚約を整える。
 ところが、掃部が巡礼の旅から戻ると、小太郎はすでに病で亡くなっていた。それを知らない谷は花嫁姿で掃部のもとを訪れた。
 小太郎が亡くなっていることを知ると、「両親同士が許した以上夫婦であり、命が尽きるまで仏に仕え尽くしたい」と松島に残り、掃部夫妻に尽くした。
 数年後、掃部夫妻が相次いで亡くなると、冥福を祈るのが残されたものの務めと、名を紅蓮と改め尼となる。紅蓮は心月庵を開き、供えられた米で煎餅を焼いて村の人々に施した。これが「松島こうれん」と呼ばれ、現代まで伝えられている。
移し植えし 花の主は はかなくに 軒端の梅は 咲かずともあれ
 歌意:
咲けかしな 今は主と ながむべし 軒端の梅の あらん限りは
 歌意: 
 年(年)建立
 2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5




公会堂
・場所:秋田県にかほ市象潟町三丁目 Yahoo地図
紅蓮尼(こうれんあま)
・説明:昔(1321年頃)、松島瑞巌寺近くに住む掃部という富豪が、伊勢参り途中で出羽国象潟の商人森隼人と親しくなった。別れ際、このまま別れてしまうには惜しく、親戚の関係を結びたいと、掃部の息子の小太郎と商人の娘の谷の婚約を整える。
 ところが、掃部が巡礼の旅から戻ると、小太郎はすでに病で亡くなっていた。それを知らない谷は花嫁姿で掃部のもとを訪れた。
 小太郎が亡くなっていることを知ると、「両親同士が許した以上夫婦であり、命が尽きるまで仏に仕え尽くしたい」と松島に残り、掃部夫妻に尽くした。
 数年後、掃部夫妻が相次いで亡くなると、冥福を祈るのが残されたものの務めと、名を紅蓮と改め尼となる。紅蓮は心月庵を開き、供えられた米で煎餅を焼いて村の人々に施した。これが「松島こうれん」と呼ばれ、現代まで伝えられている。
移し植えし 花の主は はかなくに 軒端の梅は 咲かずともあれ
 歌意:
咲けかしな 今は主と ながむべし 軒端の梅の あらん限りは
 歌意:
 年(年)建立
2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5