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宮城県の句碑・歌碑・詩碑
仙台市茂ヶ崎

仙台市茂ヶ崎
野草園の入口近くの道路沿い 
・場所:宮城県仙台市太白区茂ケ崎3-12 Yahoo!地図  
原 阿佐緒(はら あさを) 
・説明:1888~1969年
    大和町宮床で生まれ。大正から昭和初期にかけて九条武子、柳原白蓮とともに日本三閨秀歌人の一人に数えられ、天与の才能と美貌に恵まれた阿佐緒は純粋で情熱的な短歌で歌壇の注目を集めた。1935年に老母の待つ故郷「白壁の家」に身を寄せている
 
家ごとに すもも花咲く みちのくの 春べをこもり 病みて久しも
 歌意:
 1961(昭和36年)6月2日 建立
2010.2.25 綺麗に掃除してありました。


 原 阿佐緒 明治21年6月21日 宮城県黒川郡宮床村(現在 大和町宮床)に生まれた
 短歌は、始め興 与謝野晶子に師事 後 「アララギ」に加わった
 女流歌人として近代歌壇に名をなした。
 原阿佐緒歌碑建設委員会 1961年(昭和36年)6月2日建立 
 2010.2.25




仙台放送アンテナ前の茂ヶ崎小公園
・場所:宮城県仙台市太白区茂ケ崎3-12-1 仙台放送小公園 Yahoo!地図
阿部 みどり女(あべ みどりじょ) 
・説明:1886-1986年  札幌生まれ 札幌北星女学校修了 俳人
 父は第2代北海道庁長官 第7師団長 永山武四郎の四女 本名:ミツ
 長谷川かな女・杉田久女とともに、女流俳句草創期を代表する一人
 1910年:阿部卓爾と結婚して東京に住むが、結核のため鎌倉で療養 俳句を始める。
 1915年:高浜虚子に師事
 1929年:「ホトトギス」を中心に作品を発表
 1931年:河北新報の俳壇の選者となる
 1944年(昭和19年):長女の婿(一力五郎 河北新報社三代社長)の勧めで仙台市に疎開し
             定住 仙台には1978年(昭和53年)まで生活
 弟子:蓬田紀枝子、寺島ただし
重陽の 夕焼けに逢う 幾たりか
 句意:目の前の見事な夕焼け この素晴らしい夕焼けに出会ったのは幾人だろうか。
 重陽:ちょうよう:五節句の一つで、9月9日のこと:別名:菊の節句
 1981年 建立
2010.2.25


2010.2.25