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一関市の松尾芭蕉句碑

配志和神社(はいしわじんじゃ)
・場所:岩手県一関市山目舘56  Yahoo!地図
 2013.6.23



配志和神社(はいしわじんじゃ) 二段式庭園上段
           此の梅に  牛も初音と   なきつべし
           このうめに うしもはつねと なきつべし 
 句意:今、この社殿の梅の盛りに鶯が鳴き出すのはもとより、牛までがきっと鳴くにちがいない。
詠んだ時期・場所:1679年 芭蕉が33歳の時に詠んだ句
 1822年(文政5年)
 山目山笑庵社中が芭蕉がこの地に立ち寄ったならこの句を残したろうと考えて 建立
2013.6.23


 

            梅が香に のっと日の出る 山路かな
 句意:立春を過ぎて残る寒い朝。梅の香が匂う山路には、何の前触れもなく朝日がひょっこりと昇ってくる
・詠んだ時期・場所:1694年
 1822年(文政5年)
 山目山笑庵社中が芭蕉がこの地に立ち寄ったならこの句を残したろうと考えて 建立
 2013.6.23






かっぱ崖の おくのほそ道碑
・場所:岩手県一関市沢 Yahoo!地図
 年 建立
 2013.6.23


2013.6.23




奥の細道 芭蕉の辻
・場所:岩手県一関市新大町 一ノ関駅前の通り(ショッピングデパート千葉久) Yahoo!地図
 1982年(昭和57年)千葉久前 建立 
 2013.6.23



日本の道百選 「おくのほそ道」
・場所:岩手県一関市新大町 一ノ関駅前の通り(ショッピングデパート千葉久) Yahoo!地図
 1987年(昭和62年)千葉久前 建立 
 


漂泊の詩人 松尾芭蕉 二夜庵跡
・場所:岩手県一関市地主町4 Yahoo!地図
 
・説明:芭蕉は一関・平泉を訪れた際、磐井橋付近の金森邸に泊まった。
 年 建立
 2013.6.23



奧の細道 礎良旅日記抄
十二日
曇 戸今を立 安久津 雨強降ル 馬ニ乗 一リ加澤 三リ 皆山坂也 一ノ関黄昏ニ着
合羽モトヲル也 宿ス
曇り 戸今(登米)を立つ。三里、雨降り出す。上沼新田町(長根町とも)三里、安久津(松島よりここ迄両人共に歩行。雨強く降る。馬に乗る)一里、加沢(金沢。岩手県西磐井郡花泉町内)。三里、皆山坂也。一の関に夕方着く。雨強く合羽も通る程也。宿す。 

十三日
天気明。巳ノ尅ヨリ平泉ヘ趣 一リ山ノ目 高館 衣川 中尊寺 光堂 秀平やしき等ヲ見ル
申ノ上尅帰ル 主 水風呂敷ヲシテ待 宿ス
十三日
天気よし。午前10時頃より平泉ヘ趣く。一里、山の目。一里半、平泉ヘ、以上二里半というが二里に近い(伊沢八幡は一里余リ奥)。高館、衣川、衣ノ関、中尊寺、(別当案内)光堂(金色寺)・泉城・さくら川・さくら山(束稲山)、秀平やしき等を見る。泉城より西に霧山が見えるというが見えず。達谷が岩窟へ行かず。三十町有る由。月山、白山を見る。経堂は別当留主にて開かず。金鶏山見る。シミン堂(新御堂)、无量劫院(無量光院)跡を見、午後4時頃帰る。宿の主人、風呂を準備して待つ、宿す。

十四日
天気吉。一ノ関ヲ立
十四日
天気よし。一の関を立つ。
2013.6.23




一関第一高校入口
・場所:岩手県一関市磐井町9番1号 入口 Yahoo!地図 
  芭蕉奥の細道紀行碑
 旅と風雪にさすらう閑寂の心の中に平安の詩境あるを悟り四方を歴遊して生涯を句作の旅に捧げた芭蕉が四十六才の時門人曾良を伴い一笠一杖に身を託し奥の細道を辿り元禄二年五月十二日の夕暮時此の地に着き宿を借る

 翌十三日の栄躍の廃墟平泉を訪ね高館にあえなき最後を遂げた義経主従に萬感交同情の熱涙を注ぐ國破れて山河あり城春にして草青みたりと笠打敷きて時のうつるまで泪を落し侍りぬ
       夏草や 兵ともが 夢の跡
 と真筆の句を残し再に七宝散り失せ黄金の柱霜雪に朽ち頽廃空虚の叢となるべ
きを四面を囲み甍を覆い風雪を凌ぐ金色堂を仰ぎ見て
       五月雨の 降のこしてや 光堂
 と読み立ちさりぬ当夜も此の地に宿りしを記念して碑を建
       苦旅れて 宿借ころや 藤の花
          夏草や 兵ともが 夢の跡
 句意:ここはかつて侍達が功名を夢見て戦った場所。しかし今では、夏草がむなしく生い茂っているだけだ
詠んだ時期・場所:1689年「奥の細道」 平泉
 
          五月雨の 降のこしてや 光堂
 句意:あたりの建物が、雨風で朽ちていく中で、光堂だけが昔のままに輝いている。
 まるで、光堂にだけは、五月雨も降り残しているようなことではないか。
詠んだ時期・場所:1689年「奥の細道」 中尊寺で詠んだ句
 
         苦旅れて  宿借ころや   藤の花
         くたびれて やどかるころや ふじのはな 
 句意:一日の旅に疲れて旅籠を求める黄昏。晩春の暮色の中に淡い紫の藤の花がおぼつかなく咲き垂れて、そこはかとない旅愁と春愁を誘う。
詠んだ時期・場所:1688年(貞亨5年)4月11日、「笈の小文」の道中大和八木 

 1971年(昭和46年) 橘軍之助 建立


 
旭電通工業 植え込みの中
・場所:岩手県一関市磐井町3-4 Yahoo!地図 
元禄二年五月十二日 松尾芭蕉みちのく紀行碑二宿の地
 


舞草神社(もくさじんじゃ)
・場所:岩手県一関市舞川大平5 本堂の左 Yahoo地図
         しはらくは 花の上なる   月夜かな
         しばらくは はなのうえなる つきよかな 
 句意:満開の花。その上に月が上った。しばらくは月下の花見ができそうだ
・詠んだ時期・場所:1691年
 年 建立


 

相川バス停
・場所:岩手県一関市舞川中里18-12 Yahoo!地図 
         山路来て  何やらゆかし  すみれ草
         やまじきて なにやらゆかし すみれぐさ 
 句意:京都から大津へ至る山路で見つけた、ほのかな紫色の菫の花を飽きずに眺めていると、訳もなく心が引きつけられていく
詠んだ時期・場所:1685年
 芭蕉が「野ざらし紀行」で詠んだ一句。京都から大津へ抜ける逢坂山の山中で見た菫を、句友の林桐葉の夭逝した娘に擬えて哀悼した句

 1817年(文化14年) 建立


 

仁田工務店
・場所:岩手県一関市滝沢字木の川
          夏草や   兵どもが    夢の跡
          なつくさや つわものどもが ゆめのあと 
・句意:ここはかつて侍達が功名を夢見て戦った場所。しかし今では、夏草がむなしく生い茂っているだけだ。
詠んだ時期・場所:1689年「奥の細道」平泉
         五月雨の  降り残してや  光堂
         さみだれの ふりのこしてや ひかりどう  
・句意:あたりの建物が、雨風で朽ちていく中で、光堂だけが昔のままに輝いている。
 まるで、光堂にだけは、五月雨も降り残しているようなことではないか。
詠んだ時期・場所:1689年「奥の細道」 中尊寺で詠んだ句
         草臥て   宿借る頃や   藤の花
         くたびれて やどかるころや ふじのはな  
・句意:一日の旅に疲れて旅籠を求める黄昏。晩春の暮色の中に淡い紫の藤の花がおぼつかなく咲き垂れて、そこはかとない旅愁と春愁を誘う。
・詠んだ時期・場所:1688年4月11日、「笈の小文」の道中大和八木
 1971年(昭和46年) 建立



迫街道一里塚・芭蕉の道標
・場所:岩手県一関市  R342号 奥州街道と上街道の起点
・説明:一里塚のある旧街道は、迫街道と呼ばれ宮城県の岩ヶ崎・迫に通じており、江戸時代に栄えた五街道のひとつ奥州街道に次いで栄えた街道である。
 奥の細道で知られる松尾芭蕉が1689年(元禄2年)門人曽良とともに通った道として碑も残されている。
 年 建立



蔵主沢奥の細道標柱
・場所:岩手県一関市蔵主沢 Yahoo!地図
・説明:一里塚のある旧街道は、迫街道と呼ばれ宮城県の岩ヶ崎・迫に通じており、江戸時代に栄えた五街道のひとつ奥州街道に次いで栄えた街道である。
 奥の細道で知られる松尾芭蕉が1689年(元禄2年)門人曽良とともに通った道として碑も残されている。
 年 建立


 

苅又一里塚
・場所:岩手県一関市萩荘字苅又 Yahoo!地図
・説明:一里塚のある旧街道は、迫街道と呼ばれ宮城県の岩ヶ崎・迫に通じており、江戸時代に栄えた五街道のひとつ奥州街道に次いで栄えた街道である。
 奥の細道で知られる松尾芭蕉が1689年(元禄2年)門人曽良とともに通った道として碑も残されている。
 年 建立