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宮城県の文学碑
林香院(りんこういん)
・場所:仙台市若林区新寺5丁目1-1 Yahoo!地図
・説明:柳宗悦、下澤木鉢郎など句碑がある。

天江 富弥(あまえ とみや)
・説明:1899一1984年、仙台市青葉区八幡町の造り酒屋「天賞」の三男に生まれた。
 大正十年に日本最初の童謡専門誌「おてんとさん」をスズキへキと創刊して以来、一貫して子どもに夢を与える児童文化活動の指導者として活躍した。「炉ばた」の主人としても親しまれたユニークな文化人であり、郷土史家として郷土史を多角的な視点から掘り起こし河北文化賞を受けた。
なんぼになっても母の夢
 句意:
・説明:富弥の「なんぼになっても母の夢」にヘキが「よう」と呼びかける
 ※なんぼになっても:何歳ななっても
 
 年 建立
2013.1.20




スズキ ヘキ
・説明:1899〜1973年 本名 鈴木栄吉
    仙台に生まれ育ち、雑誌「赤い鳥」の影響を受けた
  
よう
・説明:富弥の「なんぼになっても母の夢」にヘキが「よう」と呼びかける。 
 年 建立
2010.3.3



 

坂村 真民(さかむら しんみん)
・説明:1909-2006年 97歳没 熊本県生まれ 本名:昴(たかし)
 一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
 1931年:神宮皇學館卒業 熊本へ帰り画図小学校の教員
 1934年:新設の全羅南道順天女学校の教員として朝鮮へ
 1946年:愛媛県立三瓶高校教師、詩作に従事
 1950年:愛媛県立吉田高等学校に転勤
 1953年:「詩母さま」と仰ぐ尼僧の杉村春苔に出会い大きな影響を受ける
 1962年:月刊詩誌「詩国」を創刊 1,200部を無料で配布した。
 1967年:愛媛県立宇和島東高等学校を定年退職
       私立新田高等学校の講師となり
       愛媛県伊予郡砥部町砥部町に居を定める
 1974年:新田高等学校退職 詩作に専念
 1980年:文部省中学校教育課「道徳指導要領三」に、詩「二度とない人生だから」が採録
       され、多くの教科書に掲載されるようになる
 「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にもある。
         「念ずれば花ひらく」
 念ずれば花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた
 このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった
 そうしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった
 句意:念というのは、今という字と、心という字から出来ている。つまり、いつもそう思うということである。
 一つのことを、いつも思い続けていると、50兆あると言われている体の中の全細胞が、今日の言葉でいうと、遺伝子が、そうなっていく。
 そのことは現代の科学者が実証しているもので、21世紀になれば、こうした学問はもっと進み、「念ずれば花開く」という言葉が、生きたものになってくると思う。
 1987年 建立
2010.3.3


2010.3.3


2010.3.3


 


伊藤 信平(いとう しんぺい)
・説明: 
せせらぎの なかに河鹿の 声澄て 街の音もなし 朝の広瀬川
 句意:
 年 建立   信平詠 晋作書
2013.1.20




平 赤絵(たいら )
・説明: 
ひざまづき われ湿盤図の 中にゐる
 句意:
 年 建立
2010.3.3




高橋 忠五郎(たかはし )
・説明:1913-  年   大郷町大松沢生まれ 元宮城野小学校第4代校長
永劫の 世に束の間の 七十五年 生きつつ鉢に 松育てゐる
 歌意:
 1989年 鳳仙花歌友一同 建立
2010.3.3




下澤 木鉢郎(しもざわ きはちろう) 
・説明:1901-1986年  弘前市生まれ 版画家 本名:喜八郎 
松島や 人住めるあり 花菜黄に
 句意:
 年 建立
2010.3.3




渋谷 木声(しぶや )
・説明: 
朝より日 くるゝころの 梅の白葉
 句意:
 1981年 建立
2010.3.3



 
柳 宗悦(やなぎ むねよし)
・説明:1889-1961年  東京都生まれ  東京大学卒 思想家、美学者、宗教哲学者
 柳宗悦氏(日本民藝館の創設者)が棟方志功さんに贈った言葉
ドコトテ御手ノ真中ナル
 句意:御手というのは神の手でも菩薩の手でも仏の手でも良い。私がどこに在るも、どこを向くも、居るその場所が御手の真中である
 1989年 宮城県民芸協会 建立



 


小林 土志朗(こばやし としろう) 
・説明:1902-年  青森県弘前市生まれ 本名:敏郎
    東北大学・東北薬科大学・東北学院大学教授
 
新寺小路 ここ鐘韻 絶ゆるなく 塋域の歩み 静かなるべし
 歌意:
 年 建立
2010.3.3