瑞宝寺(ずいほうじ)
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・場所:宮城県仙台市青葉区霊屋下23-5 Yahoo!地図
・説明:江戸時代初期の寛永14年(1637)、仙台藩2代藩主伊達忠宗によって、藩祖伊達政宗廟「瑞鳳殿」が造営された際に香華院(こうげんいん 菩提寺(ぼだいじ)のこと)として創建
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瑞鳳寺 花塚
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・説明:本源流武田朴陽と門下生がたてた花の供養碑
花塚の2大字は斉藤実、裏の詩は土井晩翠
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土井 晩翠(どい ばんすい)
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生誕・功績
土井林吉(つちいりんきち)(誤読が激しいため改姓 どい) ばんすい
明治四年(1871)10月23日~昭和27年(1952)年10月19日享年80才
宮城県仙台市北鍛冶町の旧家質商土井七郎兵衛の長男として生まれる。
仙台の旧制二高、東京帝国大学で英文学を学ぶかたわら、「帝国文学」の編集委員として、
在学中から詩を発表し、注目された。
小泉八雲を師とした。
母校である仙台の旧制二高教授として英語を教えると共に、詩作・翻訳でも活躍し、
島崎藤村を通じて知り合った滝廉太郎と名曲「荒城の月を」作った。
明治32年第一詩集「天地有情」を刊行、斬新な熱情と叙事詩風な作風によって、
詩壇を二分する「晩翠・藤村時代」を形成した。
昭和25年詩人として初めての文化勲章を受章
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昨日は青磁に姿をこらし今日は紅塵に骸を交う、色は即ち空、空は即ち色、其の香を忍び其跡を留め、滋に据う一基の花塚芳魂静に中に眠りて山河国土もろともに仏とならむ時を待てかし
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意:
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年(年)建立
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2005.9.29


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裏の詩は土井晩翠 |
昨日は青磁に姿をこらし今日は紅塵に骸を交う、色は即ち空、空は即ち色、其の香を忍び其跡を留め、滋に据う一基の花塚芳魂静に中に眠りて山河国土もろともに仏とならむ時を待てかし
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2005.9.29


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横田 禾月(よこた かげつ)
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・説明:1788-1857年 70歳没 仙台藩士横田善三郎始成の娘
足了庵禾月(そくりょうあんかげつ) 松窓乙二の門人
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長き夜に 何事もなし 帰り花
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句意:秋の長い夜に、普通にはもう散ってしまっているはずの花が帰り咲いて、暗がりの中で何事もなかったかのように静まりかえっている。
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1942年(昭和17年) 発起人 小倉博他 建立
別 1940年(昭和15年)禾月尼研究会
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2013.2.11


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瑞鳳寺(ずいほうじ)茶室 瑞新軒の「想姥仙」歌碑
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淡々斎 宗匠()
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・説明:
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意:昭和四十四年に仙台市から名誉市民の称号を贈られた今は亡き清香院様(千 嘉代子)の母 幾久寿様を想い 裏千家14代 淡々斎宗匠が平成9年 建立
淡々斎宗匠:襲名以前は玄句斎永世、玄句斎宗叔と称した一般に淡々斎として知られている
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茶室瑞新軒(千利休に茶道を学んだという伊達政宗公300年遠忌の記念として、裏千家14代・淡々斉千宗室氏が主となり東北唯一の正式な茶室として建立)
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高尾(たかお)/別名:仙台高尾
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・説明:江戸時代前期の遊女
仙台藩主伊達綱宗に身うけされたが、意にしたがわず、隅田川の中州でつるしぎりにされたとも
隠居した綱宗の側室 椙原お品、1716年(享保元年)78歳で没したとも伝えられる。
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君はいま 駒形のあたり ほととぎす
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句意:時鳥(ほととぎす)が鳴いています。あなたは今、駒形の渡しのあたりで舟を待っているのでしょうか。
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二代目高尾太夫が仙台藩主・伊達綱宗に宛てて詠んだ句と言われています
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2013.2.11

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