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仙台市野草園

仙台市野草園 
・場所:宮城県仙台市太白区茂ヶ崎2−1−1 Yahoo!地図
 スズキ ヘキ/鈴木 碧(すずき へき)
説明:1899〜1973年   本名:鈴木栄吉 
    終生仙台をはなれず「みやぎの子どもにはみやぎのうたを」と自ら原始童子になりきって童謡つくりに情熱をもやし続けた。日本稀有の天稟童謡作家である。
  雑誌「赤い鳥」の影響を受けた
 
ツクシンボコヤマ
        ツクシンボコヤマ ネムイネムイ コヤマ
        オジョーサンノ オバシャガ オヒルニ トール
        オバシャノ ギョシャガ ネムガッテ コマル 
        オバシャノ ウマモ   ネムガッテ コマル 
        ネムイ ネムイ コヤマ ツクシンボ コヤマ 
 2014.9.7


2014.9.7




スズキ ヘキ/鈴木 碧(すずき へき)
 左萩の道。どんぐり山 
ユクヒトハ ハギノモン アキノボウシト アキノクツ
 1983年(昭和58年) 開園20周年を記念 建立
2012.3.22



ハギノトンネル コモレビハ アカク チラバル
2012.3.22

 
 

スズキ ヘキ/鈴木 碧(すずき へき)
・説明:1899?1973年   本名:鈴木栄吉 
    終生仙台をはなれず「みやぎの子どもにはみやぎのうたを」と自ら原始童子になりきって童謡つくりに情熱をもやし続けた。日本稀有の天稟童謡作家である。
  雑誌「赤い鳥」の影響を受けた
 
野草園野外卓詩
コガラシ コボウズ ハセテイル
ドンドン オヤマヲ ハセテイル
 1983年(昭和58年)開園20周年を記念 建立
2014.9.7
 


コドモガ ユクヒニャ サムイヒニャ
コガラシ コボウズ  ヒロッテル 
2014.9.7



サムクテ コドモハ ユカレナイ ドングリ ヒロイニ ユカレナイ
ドンドン オヤマヲ ハセテイル ドングリ コロガシ ハセテイル
2014.9.7




菅野 邦夫(かんの くにお)
・説明:1929−年 宮城県亘理町生まれ 宮城県農学校園芸学専攻科卒
 1950年より仙台市野草園造成に参加
 元仙台野草園長 1990年退職 シロバナミヤギノハギ発見者




























ゆはぎを

つくり

 
花見に

おいで


 









 



















 



 意:
 


















































 

2015.5.8


 1998年(平成10年)仙台エコーライオンズクラブ創立35周年記念





蓬田 紀枝子(よもぎた きえこ)
・説明:1930−年 仙台市生まれ  阿部みどり女に師事。平成6年〜16年「駒草」を継承主宰。
 評伝「俳人阿部みどり女ノート」で1994年度(平成12年度)俳人協会評論賞
はんてんぼく いまは芽吹きの 大樹かな
 句意:
 年





いではく:作詞
井出 博正(いで ひろまさ)

・説明:1941−年 長野県 本名・井出 博正(いで ひろまさ)作詞家 早稲田大学卒
                  北国の春
      白樺 青空 南風 コブシ咲くあの丘北国の ああ北国の春
      季節は都会では わからないだろうと 届いたおふくろの
      小さな包み あの古里に帰えろうかな 帰えろかな
 作曲:遠藤 実  歌:千 昌夫 1977年発売





阿部 みどり女(あべ みどりじょ)
・説明:1886−1980年  札幌生まれ 札幌北星女学校修了 俳人
 父は第2代北海道庁長官 第7師団長 永山武四郎の四女 本名:ミツ
 長谷川かな女・杉田久女とともに、女流俳句草創期を代表する一人
 1910年:阿部卓爾と結婚して東京に住むが、結核のため鎌倉で療養 俳句を始める。
 1915年:高浜虚子に師事
 1929年:「ホトトギス」を中心に作品を発表
 1931年:河北新報の俳壇の選者となる
 1944年(昭和19年):長女の婿(一力五郎 河北新報社三代社長)の勧めで仙台市に疎開し
             定住 仙台には1978年(昭和53年)まで生活
 弟子:蓬田紀枝子、寺島ただし
桔梗の 蕾をぽんと 鳴らしけり
2023.5.14



 

展示ケース 作者不明
萩の雨 篠笛の音の のびやかに
 妻と来て まずは一服と 萩のお茶 いただきて巡る 秋の野草園
 短冊を 読んでは巡る 萩の丘
2023.5.14




阿部 みどり女(あべ みどりじょ)
・説明:1886−1986年  札幌生まれ 札幌北星女学校修了 俳人
 父は第2代北海道庁長官 第7師団長 永山武四郎の四女 本名:ミツ
 長谷川かな女・杉田久女とともに、女流俳句草創期を代表する一人
 1910年:阿部卓爾と結婚して東京に住むが、結核のため鎌倉で療養 俳句を始める。
 1915年:高浜虚子に師事
 1929年:「ホトトギス」を中心に作品を発表
 1931年:河北新報の俳壇の選者となる
 1944年(昭和19年):長女の婿(一力五郎 河北新報社三代社長)の勧めで仙台市に疎開し
      定住 仙台には1978年(昭和53年)まで生活 弟子:蓬田紀枝子、寺島ただし
重陽の    夕焼けに逢ふ  幾たりか 
ちょうようの ゆうやけにあふ いくたりか
 句意:目の前の見事な夕焼け この素晴らしい夕焼けに出会ったのは幾人だろうか。
 2023.9.29