松島町 雄島(おじま)
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・場所:宮城県宮城郡松島町松島 Yahoo!地図
・説明:日本三景「松島」の地名のルーツとされる。「瑞巌寺の奥の院」とも称される雄島は、東西40m、南北200mほどの島で、朱塗りの渡月橋で陸と結ばれている。島内に点在する岩窟には、諸国から渡った修行僧が刻んだ卒塔婆や仏像、法名などが数多く見られ、霊場としての風景を今にとどめている。
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2010.3.5

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河合 曽良(かわい そら)
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・説明:1649−1710年 長野県諏訪市生まれ 俳諧師 芭蕉の奥の細道に同行した弟子
蕉門十哲
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松島や 鶴に身をかれ ほとゝぎす
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・句意:松島は(なんたる絶景か)なあ。ほととぎすよ、(松島湾上を鳴き渡るときには絶景にふさわしい)鶴の姿を借りて渡りなさいよ。
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1809年 諏訪の俳人 藤森素檗(そばく)が曽良の百回忌を記念し、遠藤日人に依頼して建立 「信州諏訪産曽良同郷素檗建之 石工伊之助」の文字が刻まれている。遠藤日人筆
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2010.3.5

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おくのほそ道碑(芭蕉翁松島吟並序碑) |
そもそもことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。
東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたたふ島々の数を尽して、欷つものは天を指、臥するものは波に匍匐。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其気色、よう然として美人の顔を粧ふ。
千早(ちはや)振神の昔、大山すみのなせる業にや造化の天工、何(いず)れの人の筆をふるひ、詞を尽くさむ
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松尾 芭蕉(まつお ばしょう) |
・説明:1644−1694年 51歳没 三重県伊賀市出身 本名:松尾宗房(むねふさ)
江戸時代前期の日本史上最高の俳諧師の一人 俳号:桃青(とうせい)
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朝よさを 誰まつしまぞ 片心
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あさよさを たがまつしまぞ かたごころ
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・句意:松島を見ることを朝な夕なに、恋人を待つようだ。
・詠んだ時期・場所:1689年 奥の細道出発前 江戸
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句碑の側面右に「勢州桑名雲裡房門人」、側面左に1747年「延享四丁卯十月十二日建之」
裏に「仙台冬至菴連 山本白英 (以下略)」1789年(寛政元年) 塩竃の俳人 白坂文之 建立
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おくのほそ道碑(芭蕉翁松島吟並序碑) 2013.7.2

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松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
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朝よさを 誰まつしまぞ 片心
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あさよさを たがまつしまぞ かたごころ
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・句意:松島を見ることを朝な夕なに、恋人を待つようだ
・詠んだ時期・場所:1689年 奥の細道出発前 江戸
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1747年 仙台冬至庵建 勢州 雲裡房 門人 建立
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2010.3.5

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加賀 千代女(かが ちよめ)
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・説明:1703−1775年 73歳没 江戸中期の女流俳人。加賀国松任の生まれ
17歳に蕉門十哲の一人・各務支考の門弟となる。52歳の時に剃髪し、素園と号した。
「朝顔やつるべとられてもらひ水」の句で知られる。 |
多満され亭 き手月を見 千松島
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だまされて きてつきをみる ちまつしま
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・句意: |
1861年(文久元年) 建立
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2010.3.5

2013.7.2

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成田 蒼穹(なりた そうきゅう) |
・説明:江戸後期の俳人、南無庵二世。石川県金沢の人 |
我たつる けふりはひとの 秋の空
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・句意:
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1768年(天保11年)子季秋 建之
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2010.3.5

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南山 道人(なんざん どうにん) |
・説明:1756−1839年 84歳 神奈川県相模の出身
本名:笹野紹岷、古梁紹岷(こりょう じょうみん)、南山古梁(なんざん こりょう)
江戸後期の僧、七代藩主重村公に見出され、1793年に仙台瑞鳳寺の住持(14世)となる。
儒学を修め、詩文書画に巧みで、東東洋、菅井梅関、小池曲江らとの合作も残される。 |
天下有山水 各擅一方美 衆美帰松洲 天下無山水
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・詩意:天下に山水あり おのおの一をほしいままにす 方美衆美松島に帰し 天下に山水無し |
年 建立 南山道人併書 |
2010.3.5

左端 2013.7.2

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