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大島 蓼太(おおしま りょうた)
・説明:1718−1787年 69歳没 長野県生まれ 江戸中期の俳人
  本名:吉川陽喬 通称:平助、平八。 別号、雪中庵(三世)、里席、宜来、老鶯巣、空摩など
  二世雪中庵桜井吏登(さくらいりとう)に入門し、のち三世となる  天明中興の五傑
 1742年 奥の細道行脚に出る

松島町 雄島(おじま)
・場所:宮城県宮城郡松島町松島 Yahoo!地図
・説明:日本三景「松島」の地名のルーツとされる雄島がある。「瑞巌寺の奥の院」とも称される雄島は、東西40m、南北200mほどの島で、朱塗りの渡月橋で陸と結ばれている。島内に点在する岩窟には、諸国から渡った修行僧が刻んだ卒塔婆や仏像、法名などが数多く見られ、霊場としての風景を今にとどめている。
 
大島 蓼太(おおしま りょうた) 
       朝きりや  跡より恋の   千松しま
       あさきりや あとよりこいの ちまつしま
 句意:
 1742年大島蓼太が芭蕉の足跡をたどり松島で詠んだ
 1771年 蓼太門人 建立
2013.7.2

2013.7.2




榴岡天満宮
場所:宮城県仙台市宮城野区榴岡23 榴岡天満宮境内  Yahoo!地図 
大島 蓼太(おおしま りょうた)
五月雨や ある夜ひそかに 松の月
 句意:
 嚢菴白麻(ふくろあん びゃくま) 建之
2010.1.5


 


柳の清水 
・場所:山形県新庄市金沢新町 柳の清水 Yahoo!地図 
大島 蓼太(おおしま りょうた)
芭蕉句碑の裏
凉しさや 行先々へ 最上川
 句意:
 年 建立
2013.5.23
 

2013.5.23


2013.5.23