高浜 虚子(たかはま きょし)
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・説明:1874−1959年 愛媛県松山市生まれ 明治から昭和の俳人、小説家
本名:清 虚子号は本名をもじって正岡子規によりつけられた
京都の旧制第三高等学校入学、碧梧桐も後れて入学同居し俳友とも交わった。学制改革でともに仙台の二高に移ったが、文学への念強く1894年そろって退学上京
明治31(1898)年松山から発行されていた『ホトトギス』を引き継いで東京から編集発行し,俳句とともに写生文や小説を掲載,明治38年からは夏目漱石の「吾輩は猫である」「『坊つちやん」などの掲載で誌名を高めた。
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三世の仏 皆座にあれば 寒からず
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句意: |
1958年(昭和33年) 建立
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2013.12.7


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2013.12.7
坂村 真民(さかむら しんみん)
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・説明:1909−2006年 97歳没 熊本県生まれ 本名:昴(たかし)
一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
1931年:神宮皇學館卒業 熊本へ帰り画図小学校の教員
1934年:新設の全羅南道順天女学校の教員として朝鮮へ
1946年:愛媛県立三瓶高校教師、詩作に従事
1950年:愛媛県立吉田高等学校に転勤
1953年:「詩母さま」と仰ぐ尼僧の杉村春苔に出会い大きな影響を受ける
1962年:月刊詩誌「詩国」を創刊 1,200部を無料で配布した。
1967年:愛媛県立宇和島東高等学校を定年退職
私立新田高等学校の講師となり
愛媛県伊予郡砥部町砥部町に居を定める
1974年:新田高等学校退職 詩作に専念
1980年:文部省中学校教育課「道徳指導要領三」に、詩「二度とない人生だから」が採録
され、多くの教科書に掲載されるようになる
「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にもある
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念ずれば花開く
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句意:念というのは、今という字と、心という字から出来ている。つまり、いつもそう思うということである。
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年 建立 |
2013.12.7

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相楽(良) 等躬(さがら とうきゅう)
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・説明:1638−1715年 須賀川市生まれ 江戸時代前期-中期の俳人
芭蕉と交友のあった人物で、須賀川宿で問屋を営む傍ら、須賀川の駅長(現代の市長クラス)の要職を務めていた
乍憚(さたん)、乍単斉(さたんさい)後に等躬、晩年になって藤躬と号した
1689年(元禄2年)(陽暦6月9日)芭蕉は須賀川に至り、等躬宅に7泊した。
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あの辺は つく羽山哉 炭けぶり
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句意: |
1958年(昭和33年)
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2013.12.7

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麻田 椎花()
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・説明:年 生まれ |
芳りくる 朝餉の味噌か 田螺汁 |
句意: |
年 建立 |
2013.12.7

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