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二本松市油井の句碑・歌碑

満福寺(まんぷくじ) 
・場所:福島県二本松市油井飯出93 満福寺事務所前 Yahoo!地図
・源頼義父子が安部氏征伐の折に食事をしたといわれており、そのときに使った釜を沈めた井戸を「釜乃井」と呼んでいます。また、源義経の言い伝えや芭蕉の足跡をたどった正岡子規が満福寺に泊まり、そのときに詠んで贈った句の短冊が現存しています。
 源義経が兄頼朝に追われ平泉に逃げ落ちる際、一行がここに訪れ昼食を御馳走になったとされ、お腹が一杯になった事から弁慶が「飯井出山吉祥院
満腹寺」と名づけた伝説がある。
 
正岡 子規(まさおか しき) 
・説明:1867−1902年 松山市新玉町生まれ、日本新聞社、俳誌「ホトトギス」によって写生による新しい俳句を指導、写生文による文章革新を試みるなど、近代文学史上に大きな足跡を残した。
寺に寐る 身の尊とさよ すゝしさよ
 句意:
 寐る:寝る
 1962年(昭和37年) 建立

水飯や 弁慶殿の 食い残し
 句意:
 満福寺に一泊し、夕食をご馳走になりながら寺の由来を聞いて詠んだ句
2013.12.7


 


満福寺(まんぷくじ)
・場所:福島県二本松市油井飯出93 満福寺事務所前 Yahoo!地図 

道遙か
 1992年(平成4年)  建立
2013.12.7


 

母親とは そばに居ると うるさく 離れると 恋しく
お星さまになると初めて かけがえのない 存在となる
2013.12.7


 

 

智恵子の森公園
・場所:福島県二本松市油井 智恵子の森公園 Yahoo!地図 
 高村 光太郎(たかむら こうたろう)
・説明:1883−1956年 東京生まれ  詩人、彫刻家 本名:光太郎(みつたろう)
 1945年空襲で東京の自宅とアトリエを焼失し、宮沢賢治の縁で花巻に疎開。
 敗戦後は1952年まで、雪深い花巻郊外(当時太田村山口)に住んだ
 
樹下の二人(じゅかのふたり)
あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川           
ここはあなたの生れたふるさと、               
あの小さな白壁の点々があなたのうちの酒蔵。         
それでは足をのびのびと投げ出して、             
此のがらんと晴れ渡った北国の木の香に満ちた空気を吸おう。  
あなたそのものの様な此のひんやりと快い、          
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。           
 詩意:
 1983年(昭和58年) 建立
2009.11.28


2009.11.28


 

高村光太郎先生道程碑
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ 父よ          
僕を一人立ちにさせた広大な父よ    
僕から目を離さないで守る事をせよ   
常に父の気魄を僕に充たせよ      
この遠い道程のため この遠い道程のため
 詩意:
 年 建立
2009.11.28