| 会津坂下町の句碑・歌碑 |
法界寺(ほうかいじ)
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・場所:福島県河沼郡会津坂下町字光明寺東甲3944 Yahoo地図
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中野 竹子(なかの たけこ)/辞世の句
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・説明:1850−1868年 18歳没 会津藩江戸詰勘定役・中野平内の長女として江戸で生まれた。聡明で学問に長じ、また薙刀術の名手であった
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武士の猛き 心にくらぶれば 数に入らぬ 我が身ながらも
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| 意: |
年() 建立
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烈婦中野竹子女史之英霊碑
中野竹子(小竹女史之)墓
慰霊 戊辰役殉難碑
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法界寺(ほうかいじ)
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・場所:福島県河沼郡会津坂下町字光明寺東甲3944 Yahoo地図
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中野 平内(なかの ひょうない)
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・説明:−1878年 会津藩の江戸常詰勘定役 中野竹子の父
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意:
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年(年)建立
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恵隆寺 立木観音堂
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・場所:福島県河沼郡会津坂下町塔寺松原2944 立木観音堂門前 Yahoo!地図
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高野 公男(たかの きみお)
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・説明:1930−1956年 26歳没 茨城県笠間市うまれ 作詞家 本名:吉郎
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「別れの一本杉」
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一 泣けた 泣けた
こらえきれずに 泣けたっけ
あの娘と別れた 哀しさに
山のかけすも 鳴いていた
一本杉の 石の地蔵さんのよ 村はずれ |
意:
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年(年)建立
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・場所:
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・説明:
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和田 無涯()
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意:
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年(年)建立
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・場所:
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五十嵐 茶三()
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・説明:
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意:
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年(年)建立
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束松(たばねまつ)峠
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・場所:福島県会津坂下町
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秋月 悌次郎(あきづき ていじろう)/胤永(かずひさ)
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・説明:1829〜1900年 75歳没 会津若松市生まれ 江戸時代・明治時代の会津藩士
熊本大学教授 小泉八雲と同僚
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北越潜行の詩
有 故 潜 行 北 越 帰 途 所 得
(故ありて北越に潜行し帰途得る所)
行 無 輿 兮 帰 無 家
(行くに輿(こし)無く帰るに家なし)
国 破 孤 城 乱 雀 鴉
(国破れて孤城雀鴉(じゃくあ)乱る)
治 不 奏 功 戦 無 略
(治は功を奏せず戦略無し)
微 臣 有 罪 複 何 嗟
(微臣罪あり復(ま)た何をか嗟(なげ)かん)
聞 説 天 皇 元 聖 明
(聞くならく天皇元より聖明)
我 公 貫 日 発 至 誠
(我が公貫日(かんしつ)至誠に発す)
恩 賜 赦 書 応 非 遠
(恩賜の赦書(しゃしょ)応(まさ)に遠きに非(あら)ざるべし)
幾 度 額 手 望 京 城
(幾度か手を額(ぬか)にして京城を望む)
思 之 思 之 夕 達 晨
(之を思い之を思うて夕(ゆうべ)晨(あした)に達す)
愁憂満胸臆涙沾巾
(愁い胸臆(きょうおく)に満ち涙巾(きん。手ぬぐい)を沾す(うるおす。濡らす))
風 淅 瀝 兮 雲 惨 澹
(風は淅瀝(せきれき)として雲惨澹(さんたん()たり)
何 地 置 君 又 置 親
(何(いず)れの地に君を置き又親を置かん)
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会津藩士秋月悌次郎が、戊辰戦争直後の明治元年十月、藩の減刑嘆願等のため、越後駐留中の旧友・長州藩士奥平謙輔に使いしての帰途、越後街道束松峠で、雀鴉乱れる廃墟を懐って感あり詠んだ詩。
・2013年(平成25年)「北越潜行の詩」詩碑建設実行委員会、束松峠を護る会、秋月悌次郎顕彰会
(公財)会津弔霊義会、会津史談会、(社)会津坂下町観光物産協会、会津会ばんげ倶楽部建立
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