陸奥の歌枕の地を訪ねて
(陸奥は山城・大和に次ぎ、三番目の「歌枕の国」)
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野田の玉川(のだのたまがわ)
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| ・場所:宮城県塩竃市玉川1−5−20 Yahoo!地図 |
・昔はこのあたりまで潮が満ち月見にいい場所とされ、その面影を残し整備が行われています。
全国・六玉川の一つ。野田の玉川(塩竈市)、井手の玉川(京都府)、野路の玉川(滋賀県)
高野の玉川(和歌山県)、調布の玉川(東京都)、玉川の里(大阪府三島の玉川)
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新古今集
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能因 法師(のういん ほうし)
/別称:古曾部 入道(こそべ にゅうどう)
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・説明:988−1050又は1058年 平安時代の歌人 26歳の時出家し、摂津国に住む。奥州・伊予・美作などを旅した。
俗名:橘永ト(ながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称 |
ゆふされば 潮風越して みちのくの 野田の玉河 千鳥鳴くなり
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ゆふされば しおかぜこして みちのくの のだのたまがわ ちどりなくなり
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歌意:夕方になって潮風が越してくると、千鳥が鳴くという、みちのくの野田の玉川
夕方になると、塩気をふくむ風が吹いてきて、陸奥の玉川に千鳥の鳴く声が聞える。 |
1787年 塩竃の俳人 白坂文之 建立
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能因 法師(のういん ほうし)歌碑の裏面
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白坂 文之(しらさか )
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| ・説明: 塩竃の俳人 |
| 玉川や 田うた流るゝ 五月雨 |
| 句意: |
1787年(天明7年) 塩竃の俳人 白坂文之 建立
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2004

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野田の玉川
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・場所:宮城県多賀城市留ケ谷3丁目 Yahoo!地図
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新古今集
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能因 法師(のういん ほうし)
/別称:古曾部 入道(こそべ にゅうどう)
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・説明:988−1050又は1058年 平安時代の歌人 26歳の時出家し、摂津国に住む。奥州・伊予・美作などを旅した。
俗名:橘永ト(ながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称 |
ゆふされば 潮風越して みちのくの 野田の玉河 千鳥鳴くなり
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ゆふされば しおかぜこして みちのくの のだのたまがわ ちどりなくなり
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歌意:夕方になって潮風が越してくると、千鳥が鳴くという、みちのくの野田の玉川
夕方になると、塩気をふくむ風が吹いてきて、陸奥の玉川に千鳥の鳴く声が聞える。 |
年
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| 野田の玉川を詠んだ歌 |
小野 素郷(おの そきょう)
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・説明:1749−1820年 72歳没 盛岡市うまれ 盛岡の俳人
盛岡の富商。明和8年京都にでて、五升庵蝶夢に師事。帰郷して,俳諧を指導した。
本名:小野永二 別号:松濤舎・望春亭
岩間乙二・常世田長翠・吉川五明と共に奥羽四天王と称された。門人に軽石錦苔 |
玉河の 潮風ゆるむ 岡の花
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| 句意: |
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| 野田の玉川を詠んだ歌 |
順徳 天皇(じゅんとく てんのう)
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・説明:1197−1242年 鎌倉時代 第84代天皇 在位1210−1221年
後鳥羽天皇の第三皇子 別名:佐渡院
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続古今和歌集
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みちのくの 野田の玉河 みわたせば 汐風こして こほる月影
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みちのくの のだのたまがわ みわたせば しおかぜこして こほるつきかげ
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歌意:みちのくの野田の玉川を見渡すと、汐風が離れた海から吹いて来て、月の光も凍る。
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| 野田の玉川を詠んだ歌 |
後鳥羽 院(ごとばの いん)
/後鳥羽 天皇(ごとば てんのう)
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・説明:1180−1239年 平安時代末期〜鎌倉時代初期の天皇
高倉天皇の第四皇子として生まれる。 |
後鳥羽院御集
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光りそう 野田の玉川 月きよみ ゆふしほ千鳥 夜半に鳴くなり
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ひかりそう のだのたまがわ つききよみ ゆふしほちどり やはんになくなり
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| 歌意:月が清いので、光が加わる野田の玉川の夕方、満ちてくる潮の上を飛んで来た千鳥が、夜半に至って鳴いているようだ。 |
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| 野田の玉川を詠んだ歌 |
諸九尼(しょきゅうに)
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・説明:1714−1781年 江戸時代の女俳諧師。庄屋の妻であったが、旅の俳諧師(有井新之助/有井湖白)と駆落ちし、俳諧の道に進む
旅をよくして、奥の細道を辿り旅行し「秋かぜの記」を書いた。別号は波女(浪女)、雎鳩、湖白庵、千鳥庵後婦、蘇天
・訪れた日:1771年 末の松山を訪れて詠んだ |
秋されや その玉川も 虫のこゑ 只言
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句意:
只言:技巧などを用いない、ありのままの言葉。歌語でも比喩でもない日常の言葉
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