HOME   top

松島町の松尾芭蕉句碑

雄島(おじま)
・場所:宮城県宮城郡松島町松島 Yahoo!地図
・説明:日本三景「松島」の地名のルーツとされる雄島がある。「瑞巌寺の奥の院」とも称される雄島は、東西40m、南北200mほどの島で、朱塗りの渡月橋で陸と結ばれている。島内に点在する岩窟には、諸国から渡った修行僧が刻んだ卒塔婆や仏像、法名などが数多く見られ、霊場としての風景を今にとどめている。
朝よさを 誰まつしまの 片心
・句意:松島を見ることを朝な夕なに、恋人を待つようだ。(松と待つをかけた)
・詠んだ時期・場所:1689年 奥の細道出発前 東京

 1747年(延享4年) 雲裡坊門人仙台冬至庵連 建立
2010.3.5



松島町 雄島(おじま) 
・説明:この句は奥の細道の松島で詠んだ句ではない 
         朝よさを  誰まつしまぞ  片心
         あさよさを たがまつしまぞ かたごころ
・句意:松島を見ることを朝な夕なに、恋人を待つようだ
・詠んだ時期・場所:1689年 奥の細道出発前 江戸

 1747年 仙台冬至庵建 勢州 雲裡房 門人 建立
2010.3.5



松島町 雄島(おじま) 
おくのほそ道碑(芭蕉翁松島吟並序碑)  
 そもそもことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。
 東南より海を入て、江の中三里、浙江の潮をたたふ島々の数を尽して、欷つものは天を指、臥するものは波に匍匐。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負るあり抱るあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹たはめて、屈曲をのづからためたるがごとし。其気色、よう然として美人の顔を粧ふ。
 千早(ちはや)振神の昔、大山すみのなせる業にや造化の天工、何(いず)れの人の筆をふるひ、詞を尽くさむ

          朝よさを  誰まつしまぞ   片心
          あさよさを たがまつしまぞ かたごころ
・句意:松島を見ることを朝な夕なに、恋人を待つようだ。
・詠んだ時期・場所:1689年 奥の細道出発前 江戸
 句碑の側面右に「勢州桑名雲裡房門人」、側面左に「延享四丁卯十月十二日建之」、裏に「仙台冬至菴連 山本白英 (以下略)」
 1789年(寛政元年) 塩竃の俳人 白坂文之 建立
2010.3.5


2013.7.2




芭蕉翁奥の細道松島の文
裏碑には12人の俳句が刻まれている。
 時期・場所:奥の細道出発前
 1851年(嘉永4年) 大阪の鼎左、江戸の一具ら 建立 
 真ん中の碑 2010.3.5


松窓 乙二(しょうそう おつに)
はるの夜の 爪あかりなり 瑞巖寺

遠藤 日人(えんどう あつじん)
松島や ここに寢よとよ 花すみれ

鼎左
寝れは 水のうちにありけり 千松島

一具
松島や 水無月もはや 下りやみ

由誓
吹きわたる千島の松にはるの風

西馬
松島に 明ころの? はなれけり

須賀川の多与女
こゝろやゝ まとめて月の 千松島

横田 禾月(よこた かげつ)
・説明:仙台藩士の娘 1788−1857年 70歳 独身
さし汐に 名をさへ涼し 扇谷

宗古
松島や ほのかに見出す 秋の空

心阿
 月こそと 思ふに雪の 千松島

舎用
松島や 島にかくれて 残る秋

如雲
松島や   をなく    


芭蕉碑
 1974年(昭和49年) 松島芭蕉祭全国俳句大会二十周年記念事業実行委員会 建立
2010.3.5