新庄/渋谷風流亭
おくのほそ道から消された悲運の町
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・宿泊先:山形県新庄市 Yahoo地図 渋谷甚兵衛 風流亭
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・渋谷甚兵衛:新庄の富商
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新暦 7月17〜日18日
曾良随行にっきより |
六月朔 大石田を立つ 辰刻、一栄・川水、阿弥陀堂迄送ル。 |
6月1日 大石田を立つ。午前8時頃、一栄・川水、弥陀堂迄送る。 |
馬二疋 舟形迄送ル。二リ。一リ半、舟形。大石田ヨリ出手形ヲ取、ナキ沢ニ納通ル。 |
馬弐匹で、舟形迄送る。その間ニ里。一里半、舟形。大石田より出手形を取り、名木沢に納めて通る。 |
新庄ヨリ出ル時ハ新庄ニテ取リテ、舟形ニテ納通。
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新庄より出る時は新庄にて取り、舟形にて納めて通る。
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両所共に入ニハ不構。ニリ八丁、新庄。風流ニ宿ス |
両関所共に入るに差しつかえ無し。舟形・新庄間ニ里八丁、新庄。風流宅に宿す
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二日 昼過ヨリ九郎兵衛ヘ被招。
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6月2日 昼過より九郎兵衛(盛信。風流の本家)に招かれる。
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彼是、歌仙一巻有り。 |
彼是(かれこれ)、歌仙一巻有り |
盛信、息、塘夕(澁谷仁兵衛、柳風共)、孤松(加藤四良兵衛)、
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盛信の息子塘夕(澁谷仁兵衛、柳風とも称する)、孤松(加藤四良兵衛)、 |
如流(今藤彦兵衛)、木端(小村善衛門)、風流(渋谷甚兵ヘ)。 |
如流(今藤彦兵衛)、木端(小村善衛門)、風流(渋谷甚兵ヘ)。 |
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三日 天気吉。新庄ヲ立、一リ半、元合海(もとあいかい)。
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6月3日 天気晴れ。新庄を立つ。一里半、本合海。 |
次良兵へ方へ甚兵へ方ヨリ状添ル。
大石田平右衛門方ヨリも状遣ス。
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次良兵(船宿)へ方へ甚兵へ方からの添状を渡す。
大石田平右衛門方からの添状も渡す。 |
一リ半、古口ヘ舟ツクル。合海ヨリ禅僧ニ人同船、清川ニテ別ル。 |
一里半、古口へ舟を着ける。合海(本合海の上流部)から乗船した禅僧ニ人と同船、清川にて別れる。 |
毒海チナミ有。是又、平七方へ新庄甚兵ヘヨリ状添。 |
毒海長老に因みの有る僧。是又、平七方へ新庄甚兵ヘからの添状を渡す。 |
関所、出手形、新庄ヨリ持参。平七子、呼四良、番所ヘ持行。 |
関所、出手形、新庄より持参。平七の子、呼四良、番所へ持って行く。 |
舟ツギテ、三リ半、清川ニ至ル。酒井左衛門殿領也。 |
舟を継ぎ、三里半、清川に至る。酒井左衛門殿(鶴岡藩主)領也。 |
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氷室(ひょうむろ)の句碑・柳の清水(やなぎのしみず) |
・場所:山形県新庄市金沢新町 柳の清水跡 Yahoo!地図 |
表
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水の奧 氷室尋ぬる 柳かな
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句意:柳陰に小川が流れている。夏というのになんと冷たい水だ、氷室から流れ出してくるのであろう。氷室は渋谷甚兵衛のこと
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1860年(万延元年) 東部宋平 建立
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2013.5.23



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盛信亭の「風の香」三つ物 |
市民プラザ |
・場所:山形県新庄市大手町1-60 市民プラザ Yahoo!地図
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松尾 芭蕉
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風の香も 南に近し 最上川
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句意:やわらかい南風が薫って、まことに涼しく心地よい。この涼しさは、南に近く流れる雄大な最上川から運ばれて来るのだろう。
・詠んだ時期・場所:1689年
盛信亭(せいしんてい)新庄の富豪 渋谷九郎兵衛盛信(渋谷甚兵衛門 風流の兄)邸の句会
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1989年(平成元年) 新庄市 建立 奥の細道300周年記念
揮毫は九郎兵郎盛信のご子孫で、俳人の渋谷道
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2013.10.5


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木端(小村善衛門)
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物もなく 麓は霧に 埋て
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句意: |
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盛信宅で詠まれた句36句
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御尋に 我宿せばし 破れ蚊や −風流(渋谷甚兵衛)
はじめてかほる 風の薫物 −芭蕉(松尾芭蕉)
菊作り 鍬に薄(すすき)を 折添て −孤松(加藤四良兵衛)
霧立かくす 虹のもとすゑ −曾良(河合曾良)
そゞろ成月に 二里隔けり −柳風(澁谷仁兵衛)
馬市くれて 駒むかへせん −筆
すゝけたる 父が弓矢をとり傅 −芭蕉(松尾芭蕉)
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「渋谷九郎兵衛盛信亭跡」の標柱
「渋谷甚兵衛風流亭跡」の標柱「新庄市上金沢町5−33
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鳥越八幡神社(とりごえはちまんじんじゃ)
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・場所:山形県新庄市鳥越1224 Yahoo!地図 |
松尾 芭蕉
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水のおく 氷室尋る 柳かな
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句意:柳陰に小川が流れている。夏というのになんと冷たい水だ、氷室から流れ出してくるのであろう。氷室は渋谷甚兵衛のこと
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裏
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蓼太/大島陽喬
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・説明:−1787年70歳没 信州伊那大島生れ 本姓:吉川 号雪中庵
吏登に入門 雪中庵三世を名乗る |
凉しさや 行先々へ 最上川
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句意:
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1781年(天明元年) 東都宗平 建立 沙羅筆
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鶴岡市羽黒町羽黒山へ
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