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 象潟
7月1日 宿泊: 向 屋 佐々木左衛門治郎邸
7月2日
 宿泊: 能登屋 佐々木孫左衛門邸 

 江山(こうざん)水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸(ほうすん)を責む。
 海や山、河川など景色のいいところをこれまで見てきて、いよいよ旅の当初の目的の一つである象潟に向けて、心を急き立てられるのだった。

 酒田の湊より東北の方(かた)、山を超え礒を伝ひ、いさごをふみて、その際(きわ)十里、
 象潟は酒田の港から東北の方角にある。山を越え、磯を伝い、砂浜を歩いて十里ほど進む。 

 日影ややかたぶくころ、汐風真砂(まさご)を吹上、雨朦朧(もうろう)として鳥海の山かくる。 
 太陽が少し傾く頃だ。汐風が浜辺の砂を吹き上げており、雨も降っているので景色がぼんやり雲って、鳥海山の姿も隠れてしまった。 

 闇中(あんちゅう)に莫作(もさく)して、「雨もまた奇(き)なり」とせば、雨後(うご)の晴色(せいしょく)またたのもしきと、  
 暗闇の中をいろいろ試み進む。「雨もまた趣深いものだ」雨が上がったらさぞ晴れ渡ってきれいだろうと期待をかけ 

 蜑(あま)の苫屋(とまや)に膝をいれて雨の晴るるを待つ。
 漁師の仮屋に入れさせてもらい、雨が晴れるのを待った。
 その朝(あした)、天よく晴れて、朝日(あさひ)花やかにさし出(い)づるほどに、象潟に船をうかぶ。
 次の朝、空が晴れ渡り、朝日がはなやかに輝いていたので、象潟に舟を浮かべることにする。 

 まず能因嶋に船をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木(おいき)、西行法師の記念(かたみ)をのこす。
 まず能因法師ゆかりの能因島に舟を寄せ、法師が三年間ひっそり住まったという庵の跡を訪ねる。

 江上(こうじょう)に御陵(みささぎ)あり。神功后宮(じんぐうこうぐう)の御墓(みはか)といふ。寺を干満珠寺(かんまんじゅじ)といふ。
 このところに行幸(みゆき)ありしこといまだ聞かず。いかなることにや。

 水辺に御陵がある。神功后宮の墓ということだ。寺の名前を干満珠寺という。
 神功后宮がこの地に行幸したという話は今まで聞いたことがない。
 どういうことなのだろう

 この寺の方丈(ほうじょう)に座して簾(すだれ)を捲(まけ)ば、風景(ふうけい)一眼(いちがん)の中(うち)に尽(つき)て、
 この寺で座敷に通してもらい、すだれを巻き上げて眺めると、風景が一眼の下に見渡せる。  

 南に鳥海天をささえ、その陰うつりて江(え)にあり。
 南には鳥海山が天を支えるようにそびえており、その影を潟海に落としている。

 西は有耶無耶の関(うやむやのせき)、路(みち)をかぎり、
 西に見えるはむやむやの関があり道をさえぎっている 

 東に堤(つつみ)を築(きず)きて秋田(あきた)にかよふ道遥(はるか)に、  
 東には堤防が築かれていて、秋田まではるかな道がその上を続いている。 

 海北にかまえて浪(なみ)打ち入るる所を汐越(しおこし)といふ。 
 北側には海がかまえていて、潟の内に波が入りこむあたりを潮越という。 

 江(え)の縦横一里ばかり、俤(おもかげ)松嶋にかよひてまた異(こと)なり。 
 江の内は縦横一里ほどだ。その景色は松島に似ているが、同時にまったく異なる

 松嶋は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし。 
 松島は楽しげに笑っているようだし、象潟は深い憂愁に沈んでいるようだ

 寂(さび)しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。  

 寂しさに悲しみまで加わってきて、その土地の有様は美女が深い憂いをたたえてうつむいているように見える。

      象潟や  雨に西施が  ねぶの花 
      汐越や  鶴はぎぬれて 海涼し 
      腰長や  鶴脛ぬれて  海涼し
      ゆふ晴や 桜に涼む   波の華
      象潟や  料理何くふ  神祭    曽良
      波こえぬ 契りありてや みさごの巣 曽良


公会堂
・場所:秋田県にかほ市象潟町三丁目 Yahoo地図 
2013.10.5




拾六日(新暦の8月1日) 吹浦を発って三崎峠越えをする


拾六日(新暦の8月1日) 雨が激しく船宿に雨宿りする


拾六日(新暦の8月1日)象潟到着 昼頃能登屋孫エ門を訪ね、
その夜は向屋の左右門治郎に泊まり、拾七日は能登屋に泊まる
象潟滞在中何度も象潟橋から全景を眺望した。



拾七日(新暦の8月2日) 夕方、舟で潟巡りをして島々を眺めた


拾七日(新暦の8月2日) 夕方、潟巡りの最後に蚶満寺へ参拝した


拾八日(新暦の8月3日) 早朝、鳥海山の全容を眺めて酒田へ向かう




7月1日 宿泊向家 佐々木左衛門治郎邸
・場所:秋田県にかほ市象潟町一丁目塩越 Yahoo地図この付近
 

7月2日 宿泊:能登屋 佐々木孫左衛門邸

にかほ市象潟町塩越/能登屋 佐々木孫左衛門邸
・場所:秋田県にかほ市象潟町字二丁目塩越   Yahoo地図この付近
 


 JR羽越本線象潟駅
・場所:秋田県にかほ市象潟町家の後23  Yahoo地図  
芭蕉文学碑
 この文学碑は、松尾芭蕉来象秀れた象潟の俳文を称えて昭和47年に芭蕉文学碑建立委員会が建立しました。碑文は蛸満寺(かんまんじ)所蔵の芭蕉筆「象潟自詠懐紙」を拡大して刻んだもので、次のとおり書かれています。
   象潟                      
 きさかたの 雨や西施か ねぶの花
  夕方雨やみて処の 何がし舟にて江の中を 案内せらるヽ
 ゆふ晴や 桜に涼む 波の華
  腰長の汐といふ処は いと浅く鶴おり立て あさるを
 腰長や 鶴脛ぬれて 海涼し
           武陵芭蕉翁桃青
     にかほ市教育委員会
きさかたの 雨や西施か ねぶの花
 句意:雨にれたネムノ花は、あたかも中国の美女西施が憂いの顔のようと咲いていた
 
西施(せいし):古代中国春秋時代(B.C.770~403)の末期、越国に居た絶世の美女
 ねぶの花:ネムノ木
・詠んだ
時期・場所:1689年  秋田県にかほ市象潟

ゆふ晴や 桜に涼む 波の華
 句意: 
腰長や 鶴脛ぬれて 海涼し
 句意:汐越の浅瀬に鶴が舞い降りた。その脛が海の水に濡れて、いかにも涼しげだ。衣が短くすねが長く見えているのを「鶴はぎ」と言うが、まさに鶴はぎだなぁと感心した
 腰長(こしたけ): 象潟で詠んだ 後に汐越
 鶴脛(つるはぎ):鶴の脚のように)衣の丈が短くすねが長く現れ出ていること
 1972年(昭和47年) 芭蕉文学碑建立委員会 建立
 芭蕉は、象潟で3句詠んでいますが、「おくのほそ道」では、「ゆふ晴や」の句が割愛され、「きさかたの雨や西施かねぶの花」が「象潟や雨に西施がねぶの花」に、「腰長や鶴脛ぬれて海涼し」が「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」と推敲改作されています。 
 2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5




奥の細道記念切手碑碑 
・説明:秋田県にかほ市象潟町家の後23  Yahoo地図
  日本画家 松尾 敏男、書家:村上 三島
  
象潟の 雨に西施が ねぶの花
 句意:雨にれたネムノ花は、あたかも中国の美女西施が憂いの顔のようと咲いていた
 
西施(せいし):古代中国春秋時代(B.C.770~403)の末期、越国に居た絶世の美女
 ねぶの花:ネムノ木
 1988年(昭和63年) 建立
2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5



 
 
 蚶満寺(かんまんじ)
・場所:秋田県にかほ市象潟町字象潟島2 Yahoo地図
象潟の 雨や西施が ねふの花
 句意:雨にれたネムノ花は、あたかも中国の美女西施が憂いの顔のようと咲いていた
 西施(せいし):古代中国春秋時代(B.C.770~403)の末期、越国に居た絶世の美女
 
ねぶの花:ネムノ木
 1989年(昭和64年) 建立
 
2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5



蚶満寺境内 中庭 
象潟の 雨や西施か ねふの花
 1763年(宝暦13年) 芭蕉70年忌に本荘、矢島、滝沢、塩越(象潟)の俳諧愛好者が建立
2013.10.5