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秋田の句碑・歌碑・詩碑
 にかほ市象潟町
蚶満寺(かんまんじ)
・場所:秋田県にかほ市象潟町象潟島 Yahoo地図
紅蓮尼(こうれんに)
・説明:昔(1321年頃)、松島瑞巌寺近くに住む掃部という富豪が、伊勢参り途中で出羽国象潟の商人森隼人と親しくなった。別れ際、このまま別れてしまうには惜しく、親戚の関係を結びたいと、掃部の息子の小太郎と商人の娘の谷との婚約を整える。
 ところが、掃部が巡礼の旅から戻ると、小太郎はすでに病で亡くなっていた。それを知らない谷は花嫁姿で掃部のもとを訪れた。

 小太郎が亡くなっていることを知ると、「両親同士が許した以上夫婦であり、命が尽きるまで仏に仕え尽くしたい」と松島に残り、掃部夫妻に尽くした。
 数年後、掃部夫妻が相次いで亡くなると、冥福を祈るのが残されたものの務めと、名を紅蓮と改め尼となる。紅蓮は心月庵を開き、供えられた米で煎餅を焼いて村の人々に施した。これが「松島こうれん」と呼ばれ、現代まで伝えられている。

 亡き夫が植えた梅の木に向かって、梅の花を見る小太郎を思って悲しくなってしまうので詠んだ歌 
移し植えし 花のあるじは はかなきに のきばのうめは さかずともあれ
 と詠んだところ、翌年はもう花が咲きませんでした。しかし咲かなくなってしまうと、また寂しいので、今一度詠んだ
さけかしな いまは主と ながむべし 軒ばの梅の あらむかぎりは
 と詠んだところ、また香り高い花をつけるようになった。
2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5


公会堂
・場所:秋田県にかほ市象潟町三丁目 Yahoo地図
紅蓮尼誕生跡/紅蓮尼碑(こうれんにひ)

 亡き夫が植えた梅の木に向かって、梅の花を見る小太郎を思って悲しくなってしまうので詠んだ歌 
移し植えし 花のあるじは はかなきに のきばのうめは さかずともあれ
 と詠んだところ、翌年はもう花が咲きませんでした。しかし咲かなくなってしまうと、また寂しいので、今一度詠んだ
さけかしな いまは主と ながむべし 軒ばの梅の あらむかぎりは
 と詠んだところ、また香り高い花をつけるようになった。
2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5


JR象潟駅
・場所:秋田県にかほ市象潟町家の後  Yahoo地図

芭蕉文学碑
 この文学碑は、松尾芭蕉来象秀れた象潟の俳文を称えて昭和47年に芭蕉文学碑建立委員会が建立しました。碑文は蛸満寺(かんまんじ)所蔵の芭蕉筆「象潟自詠懐紙」を拡大して刻んだもので、次のとおり書かれています。
   象潟                      
 きさかたの 雨や西施か ねぶの花
  夕方雨やみて処の 何がし舟にて江の中を 案内せらるヽ
 ゆふ晴や 桜に涼む 波の華
  腰長の汐といふ処は いと浅く鶴おり立て あさるを
 腰長や 鶴脛ぬれて 海涼し
           武陵芭蕉翁桃青
     にかほ市教育委員会
きさかたの 雨や西施か ねぶの花
 句意:雨にれたネムノ花は、あたかも中国の美女西施が憂いの顔のようと咲いていた
 
西施(せいし):古代中国春秋時代(B.C.770〜403)の末期、越国に居た絶世の美女
 ねぶの花:ネムノ木
・詠んだ
時期・場所:1689年  秋田県象潟

ゆふ晴や 桜に涼む 波の華
 句意: 
腰長や 鶴脛ぬれて 海涼し
 句意:汐越の浅瀬に鶴が舞い降りた。その脛が海の水に濡れて、いかにも涼しげだ。衣が短くすねが長く見えているのを「鶴はぎ」と言うが、まさに鶴はぎだなぁと感心した
 腰長(こしたけ): 象潟で詠んだ 後に汐越
 鶴脛(つるはぎ):鶴の脚のように)衣の丈が短くすねが長く現れ出ていること
 昭和47年 芭蕉文学碑建立委員会 建立
 芭蕉は、象潟で3句詠んでいますが、『おくのほそ道』では、「ゆふ晴や」の句が割愛され、「きさかたの雨や西施かねぶの花」が「象潟や雨に西施がねぶの花」に、「腰長や鶴脛ぬれて海涼し」が「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」と推敲改作されています。 

2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5


奥の細道記念切手碑碑
・説明:秋田県にかほ市象潟町家の後  Yahoo地図
  日本画家 松尾 敏男、書家:村上 三島

松尾 芭蕉(まつお ばしょう)
象潟の 雨に西施が ねぶの花
 句意:雨にれたネムノ花は、あたかも中国の美女西施が憂いの顔のようと咲いていた
 
西施(せいし):古代中国春秋時代(B.C.770〜403)の末期、越国に居た絶世の美女
 ねぶの花:ネムノ木
 年 建立
2013.10.5


2013.10.5


2013.10.5

 
三崎公園(みさきこうえん)
・場所:にかほ市象潟町小砂川三崎 Yahoo地図
河合 曾良(かわい そら)
・説明:1649−1710年 長野県諏訪市生まれ 俳諧師 芭蕉の奥の細道に同行した弟子
    蕉門十哲

 曾良随行日記

 十六日吹浦を立 番所を過ると雨降出る 一リ女鹿 是より難所 馬足不通
 番所手形納 大師崎共 三崎共云 一リ半有 小砂川 御領也 庄内預リ番所也 入には不入手形 塩越迄三リ 
2013.10.5