HOME

松島町 雄島(おじま)
・場所:宮城県宮城郡松島町松島 Yahoo!地図  

右側
孟千戸 万橘(もうせんこ? まんきつ)
・説明: 
笠捨て   是はこれはの  秋の暮  
かさすてて これはこれはの あきのくれ
・句意:

左側
蒼々舎 文鱗(そうそうしゃ ぶんりん) 
・説明: 
松島や しぐれしぐれの いくところ
・句意:
 1858年(安政5年) 建立
2010.3.5




無心庵 如雲(むしんあん じょうん)
・説明:
         走り帆の  出てつ隠れつ  千松島  
         はしりほの いてつかくれつ ちまつしま
・句意:
 1892年(明治25年) 建立
2010.3.5


2013.7.2




東武 一斎 梅賀(とえぶ?いっせい うめが)
・説明: 
陽炎の   何所から出たか 芝の上  
かげろうの とこからでたか しばのうえ
 句意:
 年 建立
2010.3.5


 

 

耳社翁()/長松下() 
・説明:津藩士 茨木家6代重光 通称:理兵衛で、柴庵、長松下、維山とも称した
         世の中の  富貴ハ暑し   山と水  
         よのなかの ふうきはあつし やまとみず
・句意:
 1803年(享和3年)癸亥春 女可代 一無 共 建之
2013.10.13


 


餐霞亭 主墓(さんかてい しゅぼ)碑
・説明:主墓碑は、友人3人と遊学中に松島で亡くなった南総木更津の人で稲次家8代当主眞年(まとし)の供養碑として建立されたものと解される。 
碑の本文は漢字のみで刻まれている。 
 姓は稲次、諱(いみな)は眞年(まとし)、字(あざな)は子音、通称 作左衛門    
 南総の君去津(=木更津)の人、1796年(寛政8年)生まれ、1830年(文政13年)没
 奥の松島を訪れたときに病没、享年35歳、尾島(=雄島)の松吟庵の傍らに葬る
                 木更津邑    餐霞亭主墓  藍屋 ※屋号
 難面もかくれし月や啼蛙        雪空舎南悠(木邨南悠)
 行春と思へと尽ぬ名残かな       欣多楼爽章(松島町の友人?)
 一羽かもて帰りはかなし鴈(がん)の声 孤坐亭一架(石惟一)
 春の葉も易くて消つ分れ霜       畔戸斎一川(白井一川)
           文政一三年庚寅閏三月
 1830年(文政13年) 建之
2010.3.5


 

雄島 その1へ戻る

 春菴
一道江心渡虹 蒼松千里鬱空濛
安禅亭畔苔成褥 坐青螺萬中

月亭 雪守
松島や 閼伽(あか)をたゝえて 鳴千鳥

立砂
松しまや その日その日の 空の笑み

山形
松しまに 月も風もふゆの 光かな