松窓 乙二(しょうそう おつに)/岩間 乙二(いわま おつに)
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・説明:1756-1823年 68歳没 白石市亘理町生まれ 本名:岩間清雄(いわま せいゆう)
与謝蕪村に「後世の俳譜この人より起る」と言われた。
与謝蕪村に私淑し、最初の注釈書「蕪村発句解」をあらわした。
松尾芭蕉をこよなく慕い、芭蕉が「おくのほそ道」を旅したように諸国を行脚した。
江戸に赴き、夏目成美(なつめせいび)、建部巣兆(たけべそちょう)、鈴木道彦らと交わる。
1810〜13年と1818〜20年の2度にわたり函館に滞留し、斧の柄(おののえ)社を結んで同地俳壇の指導に当たった。
江戸文化の爛熟期化政時代に、奥州俳諧四天王の第一人者と称された俳人
「わすれず山の翁」と親しまれた。松窓乙二の墓は白石市の陣場山にある。
奥州俳諧四天王
白石市の松窓乙二
盛岡市の小野素郷
秋田市の吉川五明
酒田市の常世田長翠
丈芝坊白居(じょうしぼう はくきょ)に師事
門人に横田禾月、市原多代女 |
陣場山
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・場所:宮城県白石市福岡蔵本字陣場53 Yahoo!地図 |
松窓 乙二(しょうそう おつに) |
鶴などは 年よるものを 春の山
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句意:
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1927年(昭和2年) 蔵王俳句会 建立
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2010.4.6

2010.4.6

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益岡公園
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・場所:宮城県白石市益岡町 益岡公園 Yahoo!地図
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松窓 乙二(しょうそう おつに)
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粟まくや わすれすの山 西にして
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句意:
わすれすの山:不忘山
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1958年(昭和33年) 乙二句碑建立委員会 建立
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2010.4.6

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瑞巌寺(ずいがんじ) |
・場所:宮城県宮城郡松島町松島 瑞巌寺 Yahoo!地図
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松窓 乙二(しょうそう おつに)
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はるの夜の 爪あかりなり 瑞巖寺
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句意:
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1851年(嘉永4年) 大阪の鼎左、江戸の高橋一具ら 建立
芭蕉翁奥の細道松島の文 裏碑には12人の俳句が刻まれている。
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真ん中の碑 2010.3.5

正岡子規は1893年(明治26年)瑞巌寺を訪れ、「はて知らずの記」に
「門側俳句の碑林立すれど殆ど見るべきなし。唯一 乙二の一句は古今圧して孤り卓然たるを覚ゆ」
2013.7.2

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称名寺
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・場所:岩手県北上市花園町2-5-11 Yahoo地図 |
松窓 乙二(しょうそう おつに)
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三日月は きのふの空や むら芒(すすき)
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句意: |
年 建立
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2014.7.29

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夏霧に ぬれてつめたし 白い花
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句意:
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乙二発句集 |
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千代の 数貝まいらせよ 伊勢の蜑(あま)
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句意:
蜑:海で魚や貝を取ることを業とする者 17歳の作 |
年(年)
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鐘氷る 俊恵(しゅんえ)か寺の 寝ざめ哉 |
句意:
俊恵:平安期東大寺の僧
天明2年蕪村の七部集の一つ「五車反古」に乙二の句が入選
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君が代の 千代の数かも 稲すずめ
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句意:
稲雀(いなすずめ):稲が実る頃、群れをなしてついばみにやってくる雀
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霜の峰に収録 1807年(文化4年)
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名月や 父の位牌を 松の上
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句意:
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1787年(天明7年) 父逝去の時の句
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何となう 子の日嬉しき ネ合哉
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句意:
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さます事 煮梅にならへ 子の寝起き |
句意:寝ている子を起こすときは熱い煮梅を口で吸いてさますようにそっと起こしましょう |
折る柴の なほ細かれや 炉の煙 |
句意: |
函館には二度 合わせて約7年間滞在
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なつかしや 梅咲くころの 土佐日記
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句意:
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1785年(天明5年)高井几董の著「新雑談集」
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しぐるるや 山鳩取りの 来るところ |
句意:
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年(年)自筆の句 仙台市博物館蔵
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泣く人の なみだ吹ききる 野分哉
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句意:
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物いはぬ 人のうへにも 年ぞゆく |
句意:
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花の香や 夜の心の ほそ長き |
句意:
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しぐれせよ 翁の夢の きえしあと |
句意:
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これほどの 花野をひとり 通る也 |
句意:
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名月の 夜にも炭やく 煙かな |
句意:
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名月や 病に富める 影法師 |
句意:
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夕暮れは 泣くにふそくのなかりけり |
句意:
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死ぬとしを 枯れ木のように わすれけり |
句意:
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1827年(文政10年)「五とせ集」
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初夢や 追われてありく 須磨の波 |
句意:
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1821年(文政4年)
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母の身まかりしとき |
取り付いて だだ子ごころや 夏の闇 |
句意:
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鬼灯の 花は暮れたに 飛ぶほたる |
句意:
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星となり 夜は見へたまへ 母の影 |
句意:
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喪の家を はやくかたぶけ 天の河 |
句意:
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