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松島・雄島・観月楼・観瀾亭・五大堂・瑞巌寺・西行戻の松・座禅堂・軒端の梅 |
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1487年 |
道興 准后 |
「この浦の みるめにあかて 松島や 惜しまぬ人も なき名残かな」 |
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1661年 |
西山 宗因 |
「いのちこそ うれしくみつれ 松島の 松の思はむ よはひながらも」 |
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「松島の 夕を秋の ゆふべかな」 |
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「松島や をじまはしみて 月の舟」 |
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1682年 |
松島眺望集 大淀三千風撰 |
元輔 「松島の 磯にむれゐる 芦田の をのがさまざま 見へし千代哉」 |
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西鶴 「松しまや 大淀の浪に連枝の月」 |
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桃青 「武蔵野の 月の若ばへや 松嶌種」 |
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言水 「松しまの 月さかせたらなん 江戸ざくら」 |
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家隆 「秋の夜の 月やをじまの あまのはら あけがたちかき 沖の釣舩」 | |||
大淀三千風 「竹による こもや囀る ふくらじま」 | |||
風流 「浪のへりに 月や婬じて 二子嶋」 |
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言水 「御前句や 西行もどり 花の跡」 |
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1689年 |
河合 曾良 |
「松島や 鶴に身をかれ ほとゝぎす」 (1782年雄島に藤森素檗 河合曾良の句碑建立 遠藤日人 筆) |
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1696年 |
天野 桃隣 |
「松嶋や 五月に来ても」秋の暮」 | |
1738年 |
山崎 北華 |
月花の 雫や凝りて 島小島」と眺め。舟より上り。松島の海士の家借て宿り。 笈下し草鞋脱けども。猶宿に尻つかで。五大堂抔見歩き。瑞巌寺に至る。 |
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1740年 |
榎本 馬州 |
「たましいか 鳥か千鳥の 夕涼」 |
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1742年 |
大島 蓼太 |
「朝きりや 跡より恋の 千松しま(1771年雄島に蓼太門人建立) |
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1747年 |
冬至庵連 |
松尾 芭蕉 「朝よさを 誰まつしまぞ 片心」 (1747年雄島に冬至庵連 芭蕉の句碑を建立) 山本白英・酒井東鯉・永野里童・蔭山芦白・山田丈芝 ・三浦等水・飯田狐才・田川阿川・奥田可耕 |
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酒井 東鯉 |
「一ツ宛 千島にわたれ 夏の月」 |
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奥田 可耕 |
「くらかりの 峠ハはれて しくれ」 |
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1747年 |
横田 柳几 |
「涼しさの 浪に笑はぬ 島もなし」 |
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武藤 白尼 | 「浮巣に かよふ島の 手配り」 | ||
1751年 | 和知 風光 |
「何ん人の おちまに住や 落葉庵」 |
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1755年 |
南嶺庵梅至 |
「涼しさや 嶋漕登 乗落ろし」 |
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1768年 |
成田 蒼穹 | 「我たつる けふりはひとの 秋の空」(1768年雄島に子季秋建立) |
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1770年 |
加藤 暁台 |
「陸奥 殿の凉台なり 千松島」 |
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1773年 |
加舎 白雄 |
「いさよふや しらず雄島の 雨の月」 「松明や 松しまの月 夜半過ぬ」 |
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1782年 |
山南 官鼠 (六花庵官鼠) |
「松島や 茸狩舟の 真帆片帆」 「鶴飛びて 群れるや雪の 千松島」(1782年雄島に建立) |
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1782年 |
田上 菊舎 |
「松嶌や 小春ひと日の 漕たらず」 |
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1789年 | 白坂 文之 |
松尾 芭蕉 「朝よさを 誰まつしまぞ 片心」 (1789年雄島におくのほそ道碑(芭蕉翁松島吟並序碑)建立) |
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1789年 |
小林 一茶 |
「松島や ほたるが為の 一里塚」 「松島や 三ッ四ッほめて 月を又」 |
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1791年 |
鶴田 卓池 |
松島の絶景、詠なかばならずして月うみにうつれば、江上に宿をかりて又千島にむかう |
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1799年 |
井上 春蟻 |
「世の中の 櫻おもはす 千松島」(1799年五大堂に建立) |
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1796年 |
松吟 |
「早おとめの しらぬ田植えや 千松島」 |
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小沢 何丸 (月院社何丸) |
「秋知らぬ 島は緑の 月夜かな」 (1796年 武江瀬戸物甼(町) 古家秀甫 新富山山頂に建立) |
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1803年 |
耳社翁 |
「世の中の 富貴ハ暑し 山と水」 (1803年雄島に女可代 一無 共句碑建立) |
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1809年 |
藤森 素檗 |
河合 曾良 「松島や 鶴に身をかれ ほとゝぎす」 (1782年雄島に藤森素檗 河合曾良の句碑建立 遠藤日人 筆) |
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1811年 | 小林 一茶 |
「島々や 一こぶしづゝ 秋の暮」(松島を思い出し1811年に詠んだ句) | |
1817年 |
井上 士朗 |
「日の暮れぬ 日はなけれども 秋の暮れ」(1817年五大堂に門人建立) |
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1818年 |
日野文鳥(聴) |
「夏痩せも 癒多利朝の 千松しま」(1818年雄島に建立) |
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1829年 |
荒川 秀山 |
「松島雪月記碑」 松乎島乎雪乎月 舟尾楼頭描不摸 若使連仙酔東海 飄然倩鶴負西湖 翠嵐自尽千松島 髣髴仙娥粧鏡中 晴好雨奇帰雪月 爛銀推裏秘清風 (1829年五大堂に建立) |
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1830年 |
餐霞亭主墓 | 雪空舎南悠 「難面も かくれし月や 啼蛙」 欣多楼爽章 「行春と 思へと尽ぬ 名残かな」 孤坐亭一架 「一羽かもて 帰りはかなし 鴈の声」 畔戸斎一川 「春の葉も 易くて消つ 分れ霜」 (1830年雄島に餐霞亭主墓碑建立) |
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1851年 |
芭蕉翁奥の細 道松島の文碑 |
高橋 一具 「松島や 水無月もはや 下りやみ」 豊島 由誓 「吹きわたる 千島の松に はるの風」 志倉 西馬 「松島に 明ころの□ はなれけり」 市原 多代女「こゝろやゝ まとめて月の 千松島」 横田 禾月 「さし汐に 名をさへ涼し 扇谷」 松洞 宗古 「松島や ほのかに見出す 秋の空」 心阿 「月こそと 思ふに雪の 千松島」 松窓 乙二 「はるの夜の 爪あかりなり 瑞巖寺」 遠藤 日人 「松島や ここに寢よとよ 花すみれ」 藤井 鼎左 「寝れは水の うちにありけり 千松島」 小島 舎用 「松島や 島にかくれて 残る秋」 無心庵如雲 「松島や をなく 」 (1851年大阪の藤井鼎左、江戸の高橋一具ら建立) |
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1853年 | 飄庵 午長 |
「明けの朝 また見ん松の 笑ひ顔」(1853年瑞巌寺に建立) |
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1858年 |
孟千戸 万橘 |
「笠捨て 是はこれはの 秋の暮」 |
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蒼々舎 文鱗 | 「松島や しぐれしぐれの いくところ」(1858年雄島に建立) | ||
1861年 |
加賀 千代女 |
「多満され亭 き手月を見 千松島」(1861年雄島に建立) |
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1861年 |
晴窓 湖十 |
「夜ばかりの国さへあるにけふの月」(1861年湖十門人瑞巌寺に建立) |
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1892年 |
無心庵 如雲 |
「走り帆の 出てつ隠れつ 千松島」(1892年雄島に建立) |
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1893年 |
正岡 子規 |
「涼しさの 眼にちらつくや 千松嶋」(観月楼で詠む) 「涼しさの はらわたにまで 通り島鳧」(観月楼で詠む) 「なき人を 相手に語る 涼みかな」(観瀾亭で詠む) 「経の声 かすかに涼し 杉木立」(瑞巌で詠む) 「政宗の 眼もあらん 土用干」(瑞巌寺で詠む) 「をさ橋に 足のうら吹く 風すゞし」(五大堂で詠む) 「涼しさや 島から島へ 橋つたひ」(五大堂で詠む)(日本三景展望台に句碑建立) 「夕されは 妻やまつらん 松島の 小嶋かくれに いそぐ釣舟」(観月楼で詠む) 「夕立の 虹こしらへよ 千松嶋」(観月楼で詠む) 「ともし火の 島かくれ行く 涼み船」(松島湾で詠む) 「すゞしさの ほのめく闇や 千松島」(松島湾で詠む) 「すゞしさの 魂出たり 千松島 」(松島湾で詠む) 「心なき 月は知らじな 松島に こよひはかりの 旅寝なりとも」(松島湾で詠む) 「すゞしさを 裸にしたり 坐禅堂」(雄島で詠む) 「涼しさの こゝからも眼に あまりけり」(富山で詠む) 「松島に 扇かざして ながめけり」(富山で詠む) 「海は扇 松島は其 絵なりけり」(富山で詠む) 「涼しさや 島かたふきて 松一つ」(松島湾で詠む) 「松島に 眼のくたびれし 涼みかな」(松島湾で詠む) 「涼しさや 海人が言葉も 藻汐草」(松島湾で詠む) 「松嶋や 雄嶋の浦の うらめぐり めぐれどあかず 日ぞ暮れにける」(松島を詠む) 「松島の 闇を見て居る すゞみかな」(松島を詠む) 「すゞしさや さらに月なき 千松島」(松島を詠む) 「波の音 の闇もあやなし 大海原 月いつるかたに 島見えわたる」(松島を詠む) |
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1920年 |
千葉 愛石 |
「年浪の 五十によりしは 松島の 葉山の神の 恵みなりけり」 (1920年葉山神社に千葉立造 本人建立) |
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1953年 |
エドマンド・ ブランデン |
快き響きかな松島のその名 人は皆まだ見ぬその地憧れて その島々と松を見るときは なほ更に船路ゆきかひ愛づるなり 景色に勝る快調の 心内の耳に無言に歌ひつつ 御堂と波浪の間なる 大島小島とりどりに その本然の調べもて夢の歌をばかなでたり (1961年新富山公園に建立) |
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1964年 |
石原 朝陽 |
「詩の友に 観せばや雪の 千松島」(1964年観瀾亭に建立) |
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1992年 |
永野 孫柳 |
「小浜菊 水主にはありし 御船歌」(1992年俳句饗宴社 新富山公園に建立) | |
2007年 |
石崎 素秋 | 「青岬 遠くで別の 汽笛鳴る」(2007年新富山公園に建立) | |
2007年 |
李 登輝 |
李 登輝 「松島や 光と影の 眩しかり」 李 曽文恵 「松島や ロマンささやく 夏の海」(2007年瑞巌寺に建立) |
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年不明 |
紅蓮尼 |
「移し植えし 花の主は はかなくに 軒端の梅は 咲かずともあれ」 「咲けかしな 今は主と ながむべし 軒端の梅の あらん限りは」 |
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年不明 |
其角堂 永機 |
「ひとつづつ 終に暮けり 千松島」(瑞巌寺に建立) |
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年不明 |
蒼々庵 亀子 |
「短夜も おしまず水は ながれけり」(瑞巌寺に建立) |
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年不明 |
近藤 呂丸 |
「松しまや 物調(ととのい)し けふの月」 |
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年不明 |
一斎 梅賀 |
「陽炎の 何所から出たか 芝の上」(雄島に建立) |
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年不明 |
俵坊 鯨丈 田原坊 |
「松しまや みつよつくれて 鐘氷る」(雄島に建立) 「松島や さて松島や 松島や |
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年不明 |
川村 羽積 |
「雪に富むや ま津嶋々の 幾な可免」(雄島に建立) |
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年不明 |
玉園 真砂 |
「春秋の はなもみちより 朝夕に けしきのかはる まつ島のうら」(雄島に建立) |
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年不明 |
南山 道人 |
「天下有山水 各擅一方美 衆美帰松洲 天下無山水」(雄島に建立) |
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年不明 |
勢州 兎渓 |
「君可代乃 可さ利毛能奈里 千松し満」(雄島に建立) |
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年不明 |
佐々木昌照則 |
「松島の 松を植てよ 塩竈の 浦の烟と なりししるしに」(雄島に建立) |
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年不明 |
阿部みどり女 |
「あきらかに 花粉とびつぐ うらゝかや」(西行戻しの松公園に建立) |
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